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 高齢者が運転する車による事故が頻発してゐる。色々言はれてゐるが、よく聞くのが「ブレーキとアクセルの踏み間違ひ」だ。これについては、以前から信じられないといふ思ひを持ってゐた。しかし、それは現実にある事なので驚く。

 先日起きた千葉での事故は、駐車場で精算する際、ブレーキのつもりでアクセルを踏み、止まらないのでさらに強く踏み込んだとしか考へられない。中島博司氏といふ交通事故の専門家によると、運転以外の事をする時はパーキングに入れてサイドブレーキをかけるべきだといふ。しかし、私はそんなことをした事がないし、知人からも聞いた事がない。きちんとブレーキを踏んでゐれば問題ないからだ。

 しかし、さうではない事が事故例から分かる。といふものの、私にはそれをする気がない。言はれるやうに、何かの拍子で足が離れ、クリープし始めることがあり得るのだが、その際は改めてブレーキを踏めばいい。問題はあわててしまってブレーキではなくアクセルを・・・といふ事が稀にある事だ。稀だからこそ、さういふ動作をしなくても危険はないと考へる人が大半なのだらう。しかし、稀であってもそれが起きた場合には重大な事故につながりかねない。そして実際に起きてゐる。

 そして、それが高齢者によって・・・といふ事が多いのだが、私も高齢者である。65歳になっていよいよ「高齢者」と仕分けされるやうになってもさういふ自覚はなかった。70歳になった今も同様で、運転に関しても自分が原因で危ない思ひをした事はない。もっとも、60代と70代の語感の差は結構大きく、何かの場合に70代である事を言い訳に使ふ事があるがそれはともかく・・・。

 ちなみに、兄はあと3ヶ月で79歳になる「後期高齢者」だが、免許証返納どころか、しょっちゅう乗り回してゐる。2年前に兄の車で数百キロのドライブ旅行をしたが、全く不安はなかった。現在もそのままかどうか未確認で、あるいは多少衰へたかもしれないが、アクセルとブレーキを踏み間違へるとは思へない。また、現在91歳の叔父は数年前に返納したが、同年齢の従兄は運転してゐる(最近し確かめてはゐないが)。

 要するに、個人差があるわけで、年齢で一概に運転を制限するのは適切ではない。本人の自覚や家族の勧めなどで運転自粛や免許証返納を考へるべきだ。家族が勧めても本人には自信があって・・・といふケースはよくあるらしいが、行政としての対処も必要だ。すでに、高齢者講習などの対策が採られてゐるが、ある年齢からは免許証の有効期限を短くする事も有効ではないだらうか。何歳から、何年にするかの検討をそろそろ始めるべき時期なのかもしれない。ブレーキのつもりでアクセルを踏む可能性のある人が運転するのはとても危険なのは言ふまでもない。砂場にゐた園児たちにはもちろん、保育士にも予測不能で何の落ち度もない。

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 新元号「令和」が発表されてから様々な動きがあったのだが、ここ一週間ほどはそれが最高潮に達してゐた。そして、30日、1日にかけて天皇の退位・即位の儀式があり、予定通りに改元が行はれた。

 1日午前零時をはさんだ数時間は、新年を迎へるときのやうな「改元フィーバー」となった。何かにつけて「平成最後の」や「令和最初の」が取り上げられ、これもフィーバー状態が続いてゐる。これらは間違ひなく「有史以来初めての出来事」だ。

 「令和」は、「大化」以来248番目の元号ださうだが、明治からは天皇の代とセットとする「一世一元」になった。それまで、改元は様々な理由でなされてゐたが、これによって天皇の代替はりに際するものとなり、天皇の終身在位と相まって崩御が改元の前提となった。従って、祝ひ事といふ感じにはならない。さういふ改元はこれまで3回あったが、私を含めて今生きてゐる国民の大半が経験したのは30年前の改元だけである。昭和天皇に対する思ひは人それぞれだっただらうが、極めて特別な人を除いて崩御を喜んだ人はゐなかったはずだし、従って新しい天皇の即位ををその時点で祝った人もゐなかっただらう。

 だが今回は違ふ。高齢による天皇の退位と皇太子の即位、それに伴ふ改元であり、さらには時代の変化に対応した代替はり前の新元号発表、これらがこの改元フィーバーを可能にした。マスメディアの姿勢にはちょっとはしゃぎすぎといふ印象もあるが、数十年に一度しかない改元の前後を楽しく過ごせるのは良いことだ。

 3年前の8月に「お言葉」があったとき、この状況を予言した人はゐなかったが、「悲しみのうちに代替はりを迎へる」事を避けたいといふお望みは間違ひなく達せられた。それは次の天皇への父親としての思ひによるものだったが、結果として国民全体が楽しい代替はりを経験できる事になった。また、国民活動が停滞する事への懸念も示されてゐたが、停滞どころかフィーバー状態となり、計算はされてゐないがかなりの経済効果を生んだと思はれる。

 要するに、何かと議論のあった「生前退位」はいいことづくめだったと言へるのだ。かくなる上は、新天皇も将来の適切な時期に退位するのが望ましい。それに向けて、また特例法で対応するのではなく、皇室典範を改正に着手すべきだ。退位の事のほか、女性天皇・女系天皇や女性宮家についても十分時間をかけて議論し、改正法に盛り込まねばならない。

 
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 塚田副大臣が辞意を表明した。初めのうちは辞めないと言ってゐたが、おそらく首相から辞めるやう指示されたのだらう。首相は、なぜ更迭しないのかと責められてゐたのだが、更迭あるいは罷免すると、以前の問題大臣との整合性がとれなくなるから自ら辞めるといふ形をとったと思はれる。さて、報道によれば次のやうに話したらしい。

 :私が事実と異なる発言をしたことにより、大きなご迷惑をかけた。発言の責任を取り、職を辞する決意をした:

 「事実と異なる発言」とは何か。問題になった発言は、吉田参議院幹事長に「安倍と麻生の地元をつなぐ道路」である事を指摘され、二人の気持ちを忖度して国の直轄事業に上げた、といふ内容だった。そのうちのどの部分が「事実と異なる」のか・・・吉田氏は「自分はさういふ事を言ってゐない」と発言したと報道されてゐるが、もしそれをさしてゐるのなら、「吉田氏に迷惑をかけた」ことになるが、そんなことが辞任の理由になるとは思へない。

 では、「自分が忖度した」といふのが事実ではないのだらうか。吉田氏の言葉とは無関係に山口県と福岡県が二人の地元である事は当然知ってゐるのだから忖度は可能だ。それは分かりやすい話だが、その部分が「事実と異なる」のなら、安倍・麻生両氏に迷惑をかけたと言へる。しかし、それも辞任するほどのことなのか?といふ気がする。


 そもそも、なぜ塚田氏の発言が問題になったのか、それは発言が事実か否かとか誰かに迷惑をかけたとかいふ理由ではない。重大なのは、道路行政に私情を持ち込んだ事だ。この地域にこの道路が必要だといふ理由に、客観的な情報ではなく、総理や副総理の地元だからといふ事情を持ってきたのが事の本質で、忖度云々は付随事項でしかない。自民党の選挙応援といふ内輪の集会でつい本音が出てしまったのだらうが、それを素直に認める訳にいかないから、あれこれわかりにくい言ひ訳をしてゐるに過ぎない。
 
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 5月1日からの元号が「令和」と決められた。「令」は初めて使はれた文字、「和」はつい30年前まで長く続いてゐた「昭和」にもある文字で、両方とも私には意外に感じられた。それはともかく、出典は万葉集で、大伴旅人が太宰府で催した梅を見る会での32首についての序文から採ったさうだ。であれば、その序文自体が漢籍の影響を受けてゐる事が推測される。実際、張衡といふ後漢の役人が書いた「帰田賦」といふ漢詩が元になってゐるさうだ。国書と言っても古い時代の古典の多くは漢文で書かれてゐるし、その前提として、文化人には漢籍の素養が必須なので、それはやむを得ないだらう。

 漢籍から採るといふこれまでの慣習を見直し、日本の古典からも考へる事にする、という安倍首相の方針が示されてゐたので、候補に入るのは確かだらうが、実際に採用されるのか、私は注目してゐた。ただ、漢字二文字といふ条件があるので、懐風藻あたりに典拠を求めるのかなと思ってゐたのだが、ひょっとすると、採用されなかった候補にそれがあるかもしれない。

 日本の古典からも候補を探すといふことや、その結果としての「令和」にも異を唱へるつもりはない。ただ、安倍首相が、まるで自分が作ったかのやうに良い元号であることを延々とアピールしたのには閉口した。辻元清美が「しゃしゃりですぎ」と言ったらしいが、全くその通りで、さう感じた人は多いだらう。道新も批判してゐる。


 ただ、安倍首相のコアな支持者は歓迎したと思はれる。そもそも、平成も令和も昭和の時代に成立した元号法を根拠としてゐる。それは、新しい憲法と皇室典範が施行されて元号に法的根拠がなくなったことを憂へた右派勢力の活動にかなり依拠してゐる。彼らは天皇を中心とする国家体制、要するに帝国憲法を理想とするのだが、その一環として一世一元号を法的に担保させやうとしたのだ。それを担った複数の組織は、現在の日本会議に結集してをり、元号法成立を建国記念の日の制定とともに輝かしい成果と自賛してゐる。後者は、言ふまでもなく、戦前の紀元節の復活である。

 数十年かけて着々と戦前回帰を進めやうとしてゐるのだが、歴代の首相でそれを最も強く打ち出してゐるのが安倍晋三で、彼らがが安倍を支持するのは当然だ。今回の新元号もその文脈で見ればかなり危うい。しかし、さういふ見方をするのは少数派であるやうに見える。積極的にさういふ見方はしないが別に戦前回帰を望んでゐるわけではない、といふ人はたくさんゐるだらうが、そのやうなマジョリティが結果的に戦前回帰を後押しすることになる。「明治とか昭和とか、元号はその時代を一言で表すものとして非常に役に立つ。大正ロマンなどという言い方が消えてしまうのは悲しい。」と言ふ人もゐる(mikoinrp)が、浅薄な見解といふべきだらう。

 
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 かつて、あちこちの小学校に二宮金次郎の銅像があった。壊さない限り現在も残ってゐると思はれるが、最近座ってゐる像が現れ始めたさうだ。歩きスマホや児童労働を連想させるといふクレームを受けてのことらしい。NEWSポストの記事によるのだが、熱海にある寛一お宮の像にもDV云々のクレームが寄せられてゐるらしい。

 ここでは前者に絞って書くのだが、私の経験では自分が通ったのとは別の小学校に銅像があった。それを知ったのは多分3~4年生ころで、親か兄かが意味を教へてくれたと記憶してゐる。数年経って交通事故が頻発する時代になり、本を読みながら歩くと危ないと言はれるやうになった。しかしそれは冗談としてであり、だからさういふ銅像はおかしい、と言ふ者は居なかった。

 歩きスマホは、本を読みながら歩くのと同様危険なのだが、だからさういふ銅像はおかしい、とまじめに言う人がたくさん現れ、それに応じて座像が作られる・・・半世紀で様変はりしたわけだが私にはちょっと信じがたい。この記事には座ってゐるとしか書かれてゐないが、薪を背負って本を読むのは同じなのだらうか。もしさうなら、金次郎は仕事の途中で一休みしながら読書してゐることになる。すると、「児童労働」にも休憩時間はあった、金次郎はその時間を勉強に充てたのだ、といふ説明になるだらう。しかし、それでは金次郎の努力の程度がかなり弱まってしまふ。

 もっとも、実際に少年時代の金次郎が薪を背負って歩きながら本を読んだのかはわからないらしいのだが、勉学に向かふ姿勢の問題だから実話かどうかは関係がない。その意味では「蛍雪の功」と同じである。蛍をいくら集めても本を読めるほど明るくはならない。窓辺に雪を積めば月明かりを反射して読めるかも知れないが、満月前後で辛うじて・・・といふ程度と思ふ。

 それはさておき、歩きスマホをするのは銅像の金次郎を見習っての事ではない。小学生でも、周りの状況に注意しながら歩くべきことくらいは知ってゐる。

 モンスターペアレントと呼ばれる人々がゐるさうだ。彼らの子供が歩きスマホで交通事故に遭ったら、学校に金次郎の銅像があるからこんな事になったのだ、と学校や市町村を訴へても、裁判で認められる可能性は極めて低い。しかし、裁判の前に必ず抗議があるわけで、さういふ事態を恐れて予め銅像を・・・といふのはあまりにも情けない。
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