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 おかしな事がよく起きてゐるが、ここ数日も立て続けにさういふ事があった。しかも、おかしいといふレベルを超える「信じがたい話」、近年広まった言ひ方をすれば「あり得ない話」だ。

 一つは「奈良判定」、もう一つは入試点数の女子に限った減点である。「奈良判定」は、伊調選手へのパワハラ、日大アメフトの悪質反則に続くスポーツ界の事件だが、アマボクシング界のトップが審判に不正な判定をさせたといふ疑惑だ。当然ながら本人は否定してゐるが、状況はクロに近い事を示してゐる。そもそもこの人物には「終身会長」といふ肩書きがある。それを見るだけで、アマボクシング界の異常さがわかるだらう。「権力は腐敗する」といふのは真理であり、終身会長を置くのは腐敗を容認する事に等しい。そして案の定腐敗したのだらう。「終身会長」がどのやうに決められたのか知らないが、そこが問題の原点だと思ふ。

 日本医科大学といふ大学が、入試の際、女子の得点を一律に下げてゐたといふ。そんなことをしたのかと驚いたが、その理由は女子の比率を下げるためだといふ。女医は結婚や出産で辞めてしまふことがあるため歓迎されないので、女医をあまり増やしたくないさうだ。その認識が医療関係者に共通であるなら、多くの医大が同じ事をしても不思議ではない。しかし、それはあまりにも酷く、それこそ「あり得ない」。どうやら、この大学の系列病院でさういふ声があり、そこに多くの卒業生を送ってゐる大学として、それに応へるための措置らしい。

 だが、公平の観点からその措置に理がないのは小学生でも分かる事だ。そして、合格すべき成績だった女子が不合格になって浪人したとすれば、彼女は1年分の予備校費用や翌年の受験料を不当に負担させられた事になり、大学は損害賠償の責任を負ふ。減点のせいで落ちたのか、それがなくても落ちたのかの判定は難しいが、裁判で争はれる事になるだらう。
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:私のような一般人がLGBTなんて差別されて当たり前、差別されるのが嫌なら黙って首をすくめて生きていなさいとと声高に主張するのはいい。しかし政治家がそれを言ったらおしまいだよという感じがある。そのことを杉田氏は理解していない。:

 上記引用は、mikoinrpのブログ(7/25)からのものである。ここ数日話題になってゐる杉田水脈氏の文に関する記事なのだが、その文は新潮45の8月号に載ったものだ。その中で氏は、LGBTの人たちには生産性がないから彼らのために税金を使ふのには反対といふ意味の事を書いてゐる。この「生産性がない」といふのが反発を招き、批判されてゐる。

 これに関して何かを言ふには全文を読む必要があり、私も読んでみたのだが、ここで何かを言ふつもりはない。言ひたいのは上記引用に現れてゐるmikoinrp氏の差別意識についてである。彼とは以前差別について少し議論したことがあるのだが、私とは相容れない考への持ち主である事が分かった。彼によれば、人が人を差別するのは自然なことで、差別をなくさうとするのは不自然、もしそれが実現すれば息苦しい社会になるさうだ。また、マイノリティは差別されるもの、それは人間の本性からの帰結だからしょうがない。彼らの受ける不利益を少なくするのはいいが、それ以上の救済は多数者への逆差別だとする。

 かういふ立論のうち辛うじて同意できるのは、人間には差別する習性があるとする認識だけだ。異質なものへの違和感や嫌悪感は自然に発生するものだから避けられず、そこから生まれる差別意識も習性のやうなものと考へる事ができるからだ。

 しかし、問題はその後である。差別は自然な感情によるのだからそれを抑へつけるのは息苦しさを強いるものだ。例へばLGBTは明らかに不自然なものであり、男女間での恋愛や結婚といふ自然な行為をするマジョリティが違和感を抱いたり嫌ったりするのは自然な事であり、ひいては差別するのも当然、即ちLGBTは差別されるのが当然とする。なんとも恐ろしい差別許容論、言ひ換へれば差別する側の許し難い開き直りである。

 注意したいのは、杉田氏の主張は、自分のやうな無名の一般人なら言ってもいいが、政治家としては言ふべきでないと言ってゐる事だ。つまり建前としてはダメといふ事であり、建前を重視するべき政治家としてはセンスが悪いと批判してゐるわけだ。


 先に書いたやうに、差別したくなる心情があるのは否定しない。しかし、基本的人権の観点からそれはいけないことと多くの人は考へるはづである。それがいろんな面に拡大されてきたのが人権の歴史である。LGBTへの視点は比較的新しいので、理解の浸透があまり進んでゐないのは仕方ないのだが、驚くべき事に彼は元弁護士である。事情があってさほど長くやらずに辞めたさうだが、普通の人より人権感覚が優れてゐるべき(元)法律家にしてかういふ論を展開するのはちょっと信じられない。

 ついでながら、この記事の次にも関連記事があるが、そのコメント欄に「LGBT差別反対を叫ぶ人の多くはLGBTではなく、別の政治目的に利用しやうとしてゐる」といふ事を書いてゐる。ところが別のところでは、差別反対を主張するLGBTに対して「怠け者」と切り捨ててゐる。ではどんな人間がどのやうにLGBT差別反対を言へば納得するのだらうか。「どんな人間」については、どうやら、当人の努力で地位を築いたLGBT(ex.美輪明宏)らしいが、「どのやうに」については分からない。それはともかく、要するに彼としてはLGBTなど大嫌ひ、彼らを擁護するつもりはなく、むしろ差別します、といふのが本音と思はれる。

 そしてそれはLGBT差別にとどまらない。様々な面でマイノリティや弱者の不利益を正当化するに違ひない。おそらく黒人差別や部落差別さえも正当化する理屈をひねり出すと思はれる。仮に、この批判を直接彼に向けたらそんな事はしないと言ふだらう。確かにさうかもしれないが、それは彼が現代の日本人だからであり、もしアメリカの白人や100年前の日本人なら間違いなくさうする、と2年ほどブログを読み続けた私は思ふ。
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 どうやらこれが成立するらしい。数年前から話題になってゐたが、内容はよく知らないままだった。ただ、、カジノを含んでゐる事だけは知ってをり、話題に上るときは大抵それがテーマで、反対論が主流だった。単純な感覚として、「ギャンブルで国の経済を盛んにするとは感心しない」といふものがあり、私もさう思ってゐる。

 ただし、事はさう単純ではないはづなので、ちょっと検索してみた。すると、東洋経済のこんな記事があった。東洋経済のこんな記事4年前のものだが、よく分かった。文化サービス産業の推進やインバウンドの増大を図るものらしい。IRは[Integrated Resort]の頭文字なので、リゾート関連の施設を一か所に集中させて作るのだが、その核となるのがカジノだ。面積は5%ほどだが、売り上げは80%以上が見込まれてゐる。そのおかげで、他の施設は短期的な収益をあまり気にせずに質の高いサービス提供に注心する事ができるとされてゐる。

 「単純な感想」からはカジノを除外すれば・・・といふ考へが浮かぶが、カジノ抜きでは構想自体が成立しないわけだ。ならばやはり「カジノ法案」といふよく言はれる名称も不適切ではない。賛成論者からは、カジノはIRの一部なのだからさういふ言い方は誤解に基づくものといふ指摘があるが、面積に関しては確かに誤解を招くものの、実態としては誤解ではない。

 世界に目を向ければ、カジノは120か国で合法化され、2000軒以上ある(WIKI)といふ。日本では、賭博は現行刑法で犯罪とされてゐる。それの例外として公営ギャンブルがあるのだが、カジノもその一つに加へる事になる。そこでよく問題になるのがパチンコだ。玉を借り(現実には買ふのだが)、それで遊んで出玉を景品に交換する行為は賭博ではないとされてゐる。子供も遊べるゲームセンターには、買ったコインを使ってそれが増える可能性があるものもある。しかし、そのコインを景品と交換する事はできず、次回や別のゲームに使ふ。パチンコなら買った値段と同額でたばこなどに交換できる。もしそれを他人に売れば現金が手に入る。

 さういふ事を監視するのは不可能なので、現金がやり取りされなければ賭博とはしないのだらう。しかし現実には、ほとんどの人が換金専用の景品と交換し、すぐそばにある買取所で換金する。景品と交換するのは端数のみでお菓子などが多い。買取業者はパチンコ店に卸し、専用景品がグルグル回ってゐる。これを三店方式といふさうだがそれはともかく、パチンコをする人は現金で玉を買ひ、使ひ切ってしまへば負け、出玉をたくさん獲得すれば上記方法で現金が増えるので勝ち、それは馬券を買って・・・といふ流れとほとんど同じ、違ふのは玉と現金の間に専用景品が介在するだけである。

 パチンコは公営ギャンブルと違ってどこの町にもあるので手軽にできる。そしてすべての賭博と同じく、トータルでは遊ぶ者が負けるやうになってゐる。しかし、一部は勝つわけで、勝てばまた勝たう、負ければ次は勝たう・・・と繰り返され、依存症を引き起こす。

 すでに社会問題となってゐるパチンコを放置し、その一方で本格的な賭博をさせるカジノを作るのはけしからんといふのがよく言はれる反対論である。私はその二つを絡めて考へてはゐない。単に、賭博で経済活性化を図るのはおかしいと思ふ。つまり哲学的な反対論だ。

 ただ、賭け事は人間社会に必ずあるもので、それを一般に禁じるのは不自然だと思ふ。刑法の規定も、第一義的には暴力団が賭場を開いてテラ銭を稼ぐのを防ぐ意図だったと思ふ。普通の人々の娯楽として公営ギャンブルを設定したのは、一定の枠内に収めると同時に公の財源にもするものだらう。IRはそれを大がかりにしただけ、との主張もあると思ふが、それには賛同しない。
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 つい先日、長崎地方のいくつかの施設が世界遺産として登録されたといふニュースが流れた。登録を目指して活動してゐた人たちの喜びは分かるし、歴史的な価値を考へればその意義は大きいだらう。ただ、「潜伏キリシタン」といふのは初めて聞く言葉で、「ん?隠れキリシタンじゃないの?」と思った。

 さう思った人は他にもたくさんゐたやうで、両者の違ひを説明するサイトが複数作られてゐた。それらによると、江戸時代の禁教令(1614年)からのキリシタンが「潜伏・・・」であり、偽装棄教の上、独特の信仰形態を持つに至った。そして、明治に入ってそれが解かれた1873年以降もその形態を維持するキリシタンが「隠れ・・・」だといふ。

 ならば現在、おそらく「隠れ・・・」はほとんどゐないのだらう。そして、ユネスコが「隠れ・・・」ではだめ、「潜伏・・・」なら良いとしたらしい。その理由は、”弾圧下での信仰”に意義を認めるかららしい。つまり私の理解に合致するのだが、私は「隠れ・・・」しか知らず、「潜伏・・・」と「隠れ・・・」の」違ひも当然知らないから「ん?」となったわけである。


 しかし・・・・、なんだか腑に落ちない。つまり「潜伏キリシタン」といふ言葉がいつできたのか、それが分からないのが原因で、ユネスコの指摘がはたして妥当なのかも分からないからだ。単なる寡聞かもしれないので、WIKIに当たってみた。すると「隠れキリシタン」の項目があり、そこでは偽装棄教したキリシタンとした上で、明治以降認められたカトリック教会に戻らなかった信者をも含むが、両者を区別する場合には前者を「潜伏キリシタン」、後者を「カクレキリシタン」と呼ぶ(片仮名である)、とされてゐる。

 WIKIを鵜呑みにするつもりはないが、少なくとも「潜伏・・・」といふ言葉が以前からあった事は信じていいだらう。ただし、いつできたかは不明だし、人口に膾炙してゐないのは間違ひない。そして現在も少数ながら「隠れ・・・」が存在するさうだ。してみると、ユネスコの指摘は妥当と言へさうである。宮崎賢太郎といふ人が潜伏キリシタンやカクレキリシタンを研究してをり、著書もある。その一つに「潜伏キリシタンは何を信じていたのか」といふのがあり、それが今年2月の発行である。ひょっとすると、この言葉を作った人かもしれないので、機会を作って読んでみたい。
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 東京医科大学に補助金申請での便宜を計らひ、その見返りに息子を入学させてもらった・・・といふ容疑で文科省の局長が逮捕された。とんでもない話だが、ここで書くのはそのこと自体ではない。

 時事通信WEB版によれば、今日(6日)の参議院本会議で、安倍首相がこのやうに答弁したさうだ。曰く・・・

「行政に対する最終的な責任は総理大臣たる私にあり、改めて国民におわび申し上げる。再発防止策の徹底など国民の信頼を回復するための努力を積み重ねる」

 これとそっくりの物言ひを何度か耳にしてゐる。行政への信頼が揺らぐ事態が頻発してをり、その一部は安倍首相自身(あるいは妻)の関与が疑はれるものだ。当人は否定してをり、刑事裁判には「疑わしきは罰せず」といふ大原則があるが、「疑はしい」には十分な根拠があり、裁判ならぬ国民感情は「おそらくクロだらう」、「クロに違ひない」が多いと思はれる。私もクロと思ってゐる。

 安倍首相は刑事被告人になってゐるわけではない。だから、「私はシロです」と言ひ続け、追求されてもはぐらかすやうな答弁をする事で逃れやうとしてをり、それは成功しつつあるのだが、その過程で上記引用とそっくりの発言をしてゐる。つまり、私自身はシロだが、行政の長としての責任はあり、その限りでのお詫びと再発防止を約束するといふ態度である。

 今回の件はまさしく安倍晋三自身に何の関はりもない事だから、かういふ答弁も気が楽だらう。そして、自身の関与が疑はれてゐる件と同じ答弁をする事によって、それらの印象を薄める事ができる。乱暴に言へば、かういふ不祥事がたくさん起きてくれれば、その都度「行政の長として・・・」と言ふ事によって森友や加計の事もそれらの中に埋もれて行くのだ。だから「一番喜んだ人」は安倍晋三だらう・・・といふのが私の結論だ。もちろん皮肉だが、まんざら的外れでもないといふ気がする。


 ところで、仮に便宜を図ったとしても、それによって金銭を受け取るなどの見返りがないなら収賄ではない。そして政治家には陳情を受けるといふ仕事があり、森友も加計もその意味ではなんら問題ではない・・・とする見解がある。私のよく知ってゐる人物のものだが、大いに疑問だ。陳情を受ける仕事があるのはその通りだし、それがうまくいけば次回の選挙でも当選しやすいといふ現実もある。だが、陳情に理があり、行政として取り入れるべきと客観的に判断される事が必要であり、そこに私情を持ち込んでいいといふ事にはならない。

 わづかの私情も挟むなとまでは言はないが、その私情によって判断を曲げてはならない。まして、自らの地位の高さを利用して私情を押し通すなど言語道断である。安倍首相もその事が分かってゐるからこそ、「私や妻が関与してゐたなら議員を辞める」と大見得を切ったのだ。件の見解は、それに敢て目を背け、陳情といふ一般論に落とし込んだもので、安倍擁護のための稚拙な工夫に過ぎない。
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プロフィール

丸山恒平

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1949年1月生まれ、還暦を期にブログを始めました。記述することは多岐にわたります。
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