図書館で見つけて借りてきた。狭山事件は1963年4月に起きてをり、当時私は中3だった。事件の年月は忘れてゐたが、事件そのものはよく覚えてゐる。石川一雄といふ人が犯人とされ、死刑判決を受けたが、控訴審で無期懲役に減刑された。最高裁もそれを支持して確定、彼は服役したが、仮釈放されて現在に至ってゐる。

 二審からは無罪を主張し、支援団体も発足して再審請求も行ったが、退けられてゐる。石川氏は被差別部落の住民で、差別に基づいた捜査・裁判であるといふ観点から部落解放同盟もそれに参加した。また、事件は警察が犯人を取り逃がしてしまった吉展ちゃん事件のひと月ほど後だった。その事で国民の強い批判があったのに、この時も身代金を受け取りに来た犯人を取り逃がし、またかといふ批判が沸き起こってゐた。それで警察は、失地回復せねばと必死だったらしい。

 さういふ状況は冤罪を生じさせる一つの条件でもあり、実際にその疑ひが濃い。私は断片的にしか知らないが、物証があまりなく、自白中心の捜査だったやうで、その自白が警察によって作られたことを窺はせる根拠をいくつか読んだことがある。念入りな家宅捜索を2回もしたのに発見できなかった万年筆が、鴨居の上といふ簡単に見つかるはづの場所で(後に)発見された事を知った時は、冤罪に違ひないと確信した。もっとも、それは何十年も前の事で、以来その種の情報に接してはゐなかった。


 それで、ぜひ読みたいと思ったのだが、これはあくまでも小説である。狭山事件に関心を持つ元新聞記者・林が、後輩女性記者・町子の推理を聞くといふ構成になってゐる。なを、彼は事件の二年後に埼玉県に転勤となり、資料をもってゐた。彼女は事件好きで、同じタイプの彼とよく話すことがあり、狭山事件に興味を持って資料を借りていった。そして、謎が分かりかけたから聞いてほしいと連絡した。偶々別の後輩(男性)が遊びに来てをり、彼は町子の後輩でもあったので二人で聞くことになる。

 しかしながら、著者は元朝日新聞の記者であり、林と町子は疑ひなく彼の分身である。だから、小説ではあるが純粋なフィクションではない。それは時に推理作家が採る手法で、彼もそれを用ひたわけだ。


 さて町子は、事件を取り巻くいくつもの不可解な事柄を、ある仮説を立てて解き明かしていく。それは真犯人を「X氏」とし、不可解な事を不可解でなくするには、X氏の行動はかうだったのではないか、と推理する手法だった。もちろんX氏だけでなく、被害者やその家族の行動も含まれる。

 それらの推理はなるほどと思へるものばかりで、読者としては町子の説を信じる気持ちがどんどん強くなっていくが、本当にさうか?といふ気持ちも起きる。それは作者も承知で、林が時々休憩して考へるシーンを作る事で、読者にも落ち着く余裕を与へてゐる。

 最後に、X氏は誰かといふ話になるが、町子はある人物をX氏と想定すればつじつまが合ふとし、犯行の日の朝から数日間をX氏を主人公として描写する。その人物の呼称はあくまでも「X氏」だが、明らかに被害者の兄だ。それを知って私は驚いた。その部分を読む前、被害者の姉の婚約者かな?と考へてゐた。彼は本文には登場しないが、姉は登場してをり、事件後結婚したが七月に自殺してゐる。その自殺も不可解な事の一つだが、婚約者が犯人で彼女がそれを知ってゐたとすれば腑に落ちるからだ。彼女は身代金を取りに来た犯人と5分ほど言葉を交はしてをり、犯人が少し声を変へたとしても誰かわかった可能性が高い。

 しかし、町子の推理では被害者の兄なのだ。ちなみに兄は二人ゐるが、長兄の方である。次兄は事件から14年後に自殺してをり、事業の失敗が理由とされてゐて事件とは関係なささうだが、この本では真相を知ってゐることが原因である可能性にも言及してゐる。驚いた理由は自分の推測が外れたからではない。近親相姦があった事になるからだ。

 町子即ち殿岡氏の説の根幹は、この事件は誘拐ではなく強姦殺人で、犯人が保身のために誘拐事件に見えるやうに細工したといふ事であり、その細工には、被差別部落の者が疑はれるやうに仕向ける事も含まれてゐる。もっとも、強姦については本来の意味ではなく、被害者が拒めない関係にあるため仕方なく応じたといふ見解を取ってゐる。それを説明する段階では、例として教師や上司を挙げてゐたが、最後のまとめでは兄としたわけだ。

 これは発表するには相当勇気のいる結論だが、著者には自信があるらしい。この本は2005年の出版だが、先立つ1990年に「犯人 狭山事件より」といふ本を上梓してをり、その前後に当人に質問を送って回答を拒否されてゐる。その質問の内容は「疑問点」としか書かれてゐないが、近親相姦のことも含まれてゐるのだらう。回答拒否を肯定と見做したのではないだらうか。

 「あとがき」にはかういふ記述があり、それは著者の自信を表してゐるやうにも読める。

:本書における推理に対し、不当だと思われる方は遠慮なく申し出ていただきたい。反省すべき点があれば改めて一層真理に迫るものにしたいと考える。:

 なを、事件の詳細や推理の詳細は省いたが、それらを取り上げたサイトがあったのでリンクさせてをく。

 
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 数日前に薨去したが、100歳だったといふ。この人については、古代オリエント史の研究者といふ事しか知らなかったが、薨去したことでメディアに取り上げられたので、それ以外の人物像が少しわかった。それらのうち、「へえ、さうだったのか」と思ったのが、やや政治的な発言をしてゐた事だ。それを紹介してゐるサイトにあった著書を図書館で借りて来た。「帝王と墓と民衆」といふカッパブックス(1956年)で、特に「わが思い出の記」と題された、少し長いあとがきといった趣のものにそれがあった。

 この本は、サブタイトルが「オリエントのあけぼの」であり、古代オリエント史の入門書なのだが、「わが思い出の記」は、自己紹介を兼ねてその道に進む事になった経過を述べてゐる。

 1915年生まれの宮は、旧制中学(学習院中等科)で4年間勉強した後、陸軍士官学校に入る。当時は「皇族身位(しんい)令」といふものがあり、皇族男子は18歳以上の年齢で陸軍か海軍の武官になると定められてゐた。ただし、その原則が崩れかけてゐた時代で、別のコースを行くことも不可能だったわけではないらしい。

 ともあれ、1936年士官学校を卒業し、習志野の騎兵隊に勤務することになった。それは乗馬が得意だったことに関係があるらしい。そして1939年陸大に入学し、卒業後、参謀として南京に赴任する。1年間ゐたのだが、ここで本文から引用する。


 :わたしくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」の実体に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった。:


 その反省から政府は対華新政策なるものを決定し、現地では、それに基づいて「四悪」を禁止するといふ命令をくだした。「四悪」とは、略奪、暴行、放火、強姦ださうで、それらが横行してゐたからこその命令だったことは明らかだ。

 所謂南京大虐殺を含めた暴虐行為は、戦後11年の時点では周知の事実だった事がわかる。また、皇族である宮はあまり偏った見方をしないはずだし、現地にゐたこともあって記述は信頼できると思ふ。前世紀末ころから南京大虐殺についての議論が盛んになってゐるが、それについては、主な論点は数の多寡にあるやうだが数の問題ではない、「そもそもなかった」などとといふのは論外と発言してゐたさうだ。

 また、青年将校だった時代のことについて二つの深刻な反省をしてゐる。一つは、初年兵教官としての訓話で「大義、親(しん)を滅す」を強調したことだ。これは平重盛の「忠ならんと欲す
れば・・・」から話を起こし、軍人は孝よりも忠を優先すべしと教へたのだが、人間の精神や行動をすっきり割り切るのは無理であることを理解できない年齢、つまり未熟ゆゑの誤りだったとしてゐる。

 もう一つは、上官の命令が正しいとは限らないが、結局は命令に服従することが求められ、自分も中隊長として命令服従の関係を安易に割り切ってゐたことだ。誤った命令によって命を落とした人たちを憐れみ、以上を当時の部下たちへのお詫びとしてここに記したとしてゐる。


 この本からは離れるが、宮は民主主義を歓迎し、いろいろ制約の多い皇族としては積極的に民主主義に基づく発言をしたやうだ。特に、紀元節復活の機運が高まったころ、学問的に根拠がないとして反対を表明し、そのため「赤い宮様」と呼ばれたさうだ。また、天皇の譲位についても、戦後まもない頃に認めるべきといふ見解を表明してをり、それも今回の報道で知った。


 以上、新たに知ったことを書いてみた次第である。
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 作者は2011年に直木賞を獲ってゐるが、そのこと自体も受賞作がこれであることも知らなかった。もっとも、作品名は知ってゐたが、読まうといふ気はなかった。

 数ヶ月前、TVドラマ「花咲舞がだまってない」を偶然見たのだが、これが実に面白く、後に、「半沢直樹」とともに原作が彼の小説であることを知った。それを教へてくれたのは姉だったが、その際「下町ロケット」のおおざっぱな粗筋も教へられた。

 そんないきさつがあり、今回文庫で読んでみたのだが、実に良くできた小説だと感心した。さすがは直木賞作品である。文庫版なので解説がついてゐるが、それを書いた村上貴史は、タイトルを「絶対の代表作」としてゐる。本文には当然その理由が書かれてゐるが、多くは読みながら私も感じたことであった。

 即ち、京浜工業地帯にある大きくはないが優秀な製造技術を持つエンジンメーカー、「内製化」の方針を打ち出してそこへの下請け中止を通告する大企業、巧妙に技術を盗み、さらには特許制度の隙を衝いて逆に特許権侵害で訴え、法廷闘争の間に体力を消耗したところで吸収合併に持ち込もうとする競合大企業、さういふ危機に助けの手をさしのべない主力銀行、実業界の構造的な理不尽とでもいふべき状態がよく描かれてゐる。

 それだけではなく、主人公である経営者は、元ロケット開発に携はる研究者でものづくりに夢を抱いてゐるが、その夢と現実の経営との葛藤で社内にも不満があるとか、彼が妻と離婚してをり、中学生の娘との関係がぎくしゃくしてゐるがそれを同居してゐる母が宥めるとか、様々な設定が物語に厚みを与へてゐる。

 さて、ストーリーの根幹は、三菱重工を思はせる大メーカーが進めるロケット打ち上げ計画と、それに関はる主人公との熾烈な戦ひだ。大メーカーは、ロケットエンジンの主要な部品(キーデバイス)である精密なバルブを開発したが、特許を取得できない。佃製作所(主人公の会社)がタッチの差で先んじてゐたのだ。それを超えるものを改めて作り出すか、特許権を買うか、もしくは長期に亘って使用料を払うか、選択肢は三つだが初めのものは時間的に無理だ。自社製造を絶対条件とする大メーカーは買い取りか借用を交渉する。しかし、佃の回答は自社で作って提供するといふものだった。

 佃製作所にとって、大メーカーの条件を呑むことは少なくとも中期的な安定経営が保証されることを意味する。しかしそれは佃個人の夢と矛盾する。社内でも反発が起きるし、大メーカーは卑劣な手段をいとはずに夢をつぶさうとする。詳細は省くが、大メーカーにもものづくりの夢を理解し、同時に大企業のメンツも潰さない工夫のできる人物がゐて、結局佃の夢は叶うことになる。それに先だって、訴訟の件では元妻に紹介された優秀な弁護士に助けられるし、資金繰りの面では、正当な評価をする投資会社が現れて窮地を脱するといふ経過がある。

 エピローグは、読み進めば予想されるとはいへ感動的だ。他の作品も読んでみたいと思ったことである。

 
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 この小説は、土曜日のTV番組「王様のブランチ」で知ったのだが、その瞬間「ラプラスの悪魔」を思ひ出した。もっとも、どういふものかは、「マクスウェルの悪魔」や「シュレディンガーの猫」のやうな、思考実験における仮想的な存在、といふこと以外忘れてゐた。

 この小説を楽しむためのキーワードが四つ示されてゐたが、そのひとつ目が「科学」で、さもありなん・・・。是非読みたいと思ひ、発売日(15日)の二日後に購入した。で、改めて「ラプラスの悪魔」について、ああさうだったと思ひ出し、さらに「ナビエ・ストークス方程式」といふ初めて見る述語の知識も得た。流体力学の難問ださうで、著者はよく勉強してゐると感心させられる。


 さて、この作品は空想科学ミステリーである。事件は殺人、しかし普通に考へられる殺人ではない。温泉地で硫化水素を吸って死ぬ、といふ偶然の災害にしか見えないのだ。だが、被害者をとりまく状況は殺人を疑はせるに十分だし、その災害は発生確率が極めて低い。

 つまり、硫化水素が致死率に至るほどの濃度になるには地形や気象の条件が厳しく、局所的で時間的にも短い。さらに、そこにその時人が居るといふ条件を加えると、あり得ないほどの偶然といふわけだ。そして、時間と場所を隔てて同じ事が起きる。かうなると、自然災害ではなく人為的な殺人と考へる方が自然だが、すると今度は殺害方法があり得ない、といふジレンマに陥る。そのジレンマは二人の登場人物、科学者と刑事によって読者に提示されてゐる。

 そして、謎を解く鍵が「ラプラスの悪魔」と「ナビエ・ストークス方程式」である。タイトルは主人公の少女を指してゐるのだが、彼女は「殺人犯」ではない。


 これ以上は内容に立ち入らないが、とても面白かった。「殺害」方法はもちろん、直接手を下してゐない「犯人」の置かれた状況やその父親の人格など、よくも考へつくものだ。東野の作品は、「容疑者Xの献身」以来いくつか読んだがどれも面白く、凄い作家だと思ふ。

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 百田の作品は、これまでに「永遠のゼロ」しか読んでゐない。それを読んだのは、ニュース番組(ニュース23だったか?)で若い人に読まれてゐると紹介されてゐて興味を持ったからだった。その後どんどん売れてベストセラーとなり、その後の作品も皆平積みされるようになった。

 しかし私は、よく売れてゐるからといふ理由だけでは読まないタチなのだ。ところが先日、あるところで古本としての文庫本を見つけた。彼の作品としては有名ではないと思ったが、カバー裏には「永遠のゼロ」に連なる代表作とあった。その文言を、私はこの作品から「ゼロ」に連なるといふ意味に取り、それで読んでみやうといふ気になった。

 ところがそれは逆で、「ゼロ」からこれに連なるといふ意味だった。著者紹介を読むと、「ゼロ」が2006年、これが2010年の刊行だった。それはさてをき、内容はかなり面白かった。


 江戸時代が落ち着いた頃、頭脳明晰にして武芸にも秀でた二人の少年が出遭ふ。もっとも、一方の少年彦四郎は出遭った時すでにそういふ評価を受けてをり、他方の勘一は遅れて頭角を現すのだが、二人は刎頚の契りをかはす。

 ところで、彼らが身を置く藩では、武士が上士・中士・下士といふ三つの身分に峻別されてをり、彦四郎は中士で次男、勘一は下士で長男、普通は友達づきあひは望めない間柄なのだが、藩校といふ場での出遭ひだったことがそれを可能にした。藩校に下士の子供が通ふことも本来できないのだが、勘一は私塾で優秀だったため推薦されて通ふことになったのだった。

 さて、さういふ二人だが、学問でも剣術でも彦四郎が上で、勘一は決して追ひつけないと思ったし、事実追ひつけなかった。しかし、彼には汽水湖の干拓といふ大きな夢があった。彦四郎にはさういうものがない。次男以下は、どこかの養子になるのが通例で、良い家柄のところから声がかかるやう、学問や武芸に精を出すのだが、彦四郎は町道場でも開かうか、といふ程度のことしか考へてゐないのだった。

 勘一は、その優秀さを認められて破格の出世をし、ある時、江戸勤務を命じられる。江戸へ向かった二日後、彦四郎は、酒に酔って美人の評判高いある人妻を襲ひ、失敗した上に藩を出奔する。そのことを勘一は後に知るのだが、理由が全くわからない。しかし、二人が会ふ機会もないまま、二十年が経過してしまふ。


 二十年経って古巣に戻った勘一は、彦四郎らしき人物を見たといふ話を聞き、部下に調べさせるが、彼は五年ほど前に藩に舞ひ戻り、うらぶれた状態のまま、結核で二年前に死んだといふことだった。その後、いろいろなことを通じて真相がわかるのだが、それは驚くべきものだった。


 実は、勘一が江戸に向けて発ったあと、彼を狙ふ刺客が跡を追ってゐた。それを知った彦四郎は、先述の事件を起こし、恥づかしくてゐられないから出奔した、と見せかけたのだった。そして刺客を追ひ、途中で勘一を密かに追ひ越し、すでに勘一を追ひ越してある場所で待ちかまへてゐた刺客に深傷を負はせたのだった。

 また、勘一は江戸行きの前に夢だった干拓事業を手がけてゐたが、それを妨害する一派と剣を交へることになる。その際、危うく挟み撃ちされるところだったが、その一方を人知れず斃した人物がゐて、勘一はそれを別の友人と思ってゐたのだが、それも彦四郎なのだった。そして、その一派の首魁は刺客を放った人物でもあった。

 つまり、彦四郎は、勘一を影で支へることをを己の生き方として選んだのであり、それがタイトルの意味だった。


 さて・・・感想文である以上、内容を書くだけで終わるわけにはいかない。私が思はず落涙しさうになったセリフがある。

 「いろいろなこと」の中に、例の刺客との出遭いがある。彼は、依頼主亡き今も使命を果たせなかったことに屈託があり、勘一の帰郷を知ってある策を持って訪れたのだった。彼は居合いの達人であり、自分の間合いの内に勘一を置いた状態で対峙する。そして、勘一の器を見届けて斬らずに帰るのだが、後に勘一の訪問を受け、いきさつを説明する。その中にには、剣で敗れたのは生涯でただ一度だったことも含まれてゐた。最後に、勘一を斬らなかった理由として曰く、「磯貝彦四郎ほどの男が命を懸けて守った男をこの手にかけることはできぬ」。

 


 

 
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丸山恒平

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