「共謀罪」自体は過去に三度廃案になってゐるが、今回はその要件を厳しくした「テロ等準備罪」を組織犯罪処罰法の中に新設する、といふ案だと思ってゐた。しかし、調べてみるとさうではなかった。「テロ等準備」といふ名称の罪はなく、組織的に犯罪を実行する集団の構成員(二人以上)がある犯罪を実行することを計画し、準備行為に着手すると、計画に携わった人物を処罰するといふ内容である。

 では、なぜ「テロ等準備罪」といふ言葉が使はれてゐるのか。そもそも組織犯罪処罰法は暴力団の取り締まりを念頭に置いたものなのだが、国際的なテロが頻発する状況と2020年の東京五輪がその攻撃目標になり得るといふ認識から、それを防ぐための法整備が必要だと説明されてゐる。そして、万全を期すためには計画と準備の段階で処罰できるやう、前段に書いた内容を組織犯罪処罰法に盛り込む事にしたのである。それでさういふ言葉を使ってゐるらしい。


 さて、この法改正で国際テロは防げるのかと言へば、おそらく無理だらう。もしISなどが東京五輪に限らず日本を標的とするなら、彼らの本拠地で計画を練るはづだ。そして、法案が想定する準備行為としては現地の下見などが考へられる。とすれば、「犯罪を実行することを計画し、準備行為に着手する」といふ構成要件を満たすが、計画者は外国に居るので逮捕できないし、下見する者は計画に携はってゐるとは限らないからやはり逮捕は難しい。

 実際にあるかどうか知らないが、国内のテロ組織ならば準備段階で逮捕が可能かもしれない。とはいへ、競技場などの下見は一般人が見物するのと外見上同じだ。警察官が職務質問を試み、怪しいと思へばどうするか。怪しいだけで逮捕はできないから任意同行を求めるしかないが、拒否されればそれまでである。さらにしつこく、尾行して尻尾を捕まへやうとするのだらうか。それで何とかなるかもしれないが、あくまでも国内組織での話であり、さういふ犯罪に対しては現行法で十分対応できるといふ事を多くの専門家が指摘してゐる。ただし、共謀を処罰する事はできない。

 従って、所謂国際テロ組織に対して有効なのは、彼らの中の一部がある期間日本国内に潜伏し、国内組織と同じ行動様式をとった場合だけであり、しかも現行法での対処も可能である。要するに、現行法制で対処できるものは対処でき、改正しても防げないものは防げない。

 現行法で対処できないのは「共謀」の部分だけだ。すると今回の法案は、やはり「共謀」がメインターゲットといふ事になる。

 私の理解が正しければ、今回の改正案は必要ない。政府の説明では国連越境組織犯罪防止条約を批准するにはこの改正が必要とされてゐる。しかし、改正なくして批准できるといふ説もあり、私にはよくわからない。だから、条約との関連については見解を持ってゐない。

 
 そこで、現行法で対処できない「共謀」について考へてみる。そもそも「共謀罪」が三度も廃案になったのは、思想・信条の自由を侵す虞があるからだった。そこで今回、「準備行為」を構成要件に加へ、それへの歯止めとしたらしい。単純に考へれば、「準備行為」を確認した上で共謀段階に遡るやうに思はれる。ならば思想・信条の自由を侵す事にはならないと言へるのだらうか。ここで国会でのやりとりが思ひ起こされる。

 準備行為として対象になる罪は277もあり、その中に国有林でキノコを採るといふのがある。キノコを売ってテロ資金を稼ぐ事もあり得るといふのが政府の説明だった。好意的に解釈すると、「テロの資金にするには大量に採る必要がある。普通、大量に採るのはそれを業とする者しかをらず、しかも国有林で採るわけではない。だから、国有林で大量にキノコを採る者は怪しいが、少量を採る一般人は対象にならず、共謀云々で内心の自由を侵される心配もない」といふ事にならうか。

 ところが、テロの準備行為らしきものを見つけるために、警察官がキノコの生へてゐる国有林を巡回するとはとても思へない。277の罪に亘ってそんな事をするには膨大な数の警察官が必要だからだ。

 すると、キノコ採りに限らず計画段階を探る必要があることがわかる。そのための方法としてすぐに思ひ当たるのは通信傍受だ。それはプライバシーの侵害であり、ひいては思想・信条の自由の侵害になる。だから特別な場合だけに許される捜査手段であり、安易に範囲を広げるべきではない。テロ防止が目的なので安易に広げるわけではないと言ふだらうが、かういふものは次第に広がると考へるべきである。国家権力の常としてそれが言へる。ちなみに、この法案にはテロといふ言葉は入ってゐない。

 治安維持法は、共産主義や国体変革を目的とする結社を禁じた。それは思想弾圧だが、当時の日本においてはさほど奇異な事ではなかったやうだし、それ以外の思想の自由を侵害するものではないとされてゐた。しかし現実には、政府を批判する言動のほとんどすべてが取り締まられる事態にまでなった。この法案をその再来とする意見もあり、政府はもちろん、賛成者もそんな心配はないとするが、虞があるのは確かである。そして、前回の記事で少し触れたやうに、安倍政権下の現状はその虞を強く指摘する必要を感じさせる。

 
 先日、この法案が衆議院の委員会で強行採決された。数日中には本会議で可決され、参議院でも会期延長を経てさうなる見通しが強い。ただし、公正な選挙で選ばれた国会議員によって決められる訳だし、政権は議員の互選によって成立してゐる。だから、民主主義の建前からはこれが国民の総意なのだとも言へるわけで、その事に私は絶望を感じざるを得ない。思へば、当時世界で最も先進的とされたワイマール憲法下のドイツで、ヒトラーが合法的に台頭したのだっった。

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 物騒なタイトルにしてみたが、さういふものがあると聞いた事はないし(あっても表沙汰にはならないが)、私が計画を練ってゐるわけでもない。その意味は、安倍晋三が推し進める戦前回帰を止めるにはもうこれしかないのではないか?といふ事である。

 安倍は「日本をとりもどす」とか「美しい国日本」とかのキャッチフレーズを掲げてきたが、第二次安倍政権の誕生から3年半を経た現在、その「とりもどすべき美しい日本」とは、帝国憲法下の日本に近い事がわかってきてゐる。「戦後レジームからの脱却」といふフレーズも使ってゐたが、脱却した先に見据えてゐるのもそれだと思はれる。

 国民の中には、さういふ動きを阻止したいと考へる人も多いが、歓迎する人もかなり多いやうに見える。民意を反映する選挙では自民党が圧勝してをり、公明党を合わせた議席は改憲発議が可能な数になってゐる。それをバックに改憲を目指してゐるのは明らかだが、選挙では争点にしてこなかった。だから、国民の多くが自民党の考へる改憲案に賛成してゐるわけではない。

 それは安倍自身もわかってをり、去る三日の憲法記念日に、9条1・2項を残したまま、自衛隊を明確に位置付ける3項を付け加へる事を提案した(*)。これならさほど抵抗はなからうといふ読みと思はれる。その発言を含むビデオメッセージは、改憲を推進する民間の集会で放映されたのだが、新憲法の施行時期を2020年としたいとも言ってゐる。野党は「立法府の軽視」「憲法99条に違反する」などと批判し、安倍自身や自民党幹部は党総裁としての発言だから問題ないとしてゐる。

 どちらが正しいかの判断は簡単ではないが、さておき本心ではもっと多くの改正を望んでゐるのは言ふまでもない。高校の無償化を盛り込むとも言ったらしいが、それは改憲でなく法改正でできる事であり(実際、民主党政権ではさうした)、改憲論議をしやすくするための付け足しに過ぎないのは明らかだ。意図通りに議論が具体化すれば、本当に改正したい事(帝国憲法の方向への後戻り)を盛り込むはづで、3年間でできるだけやるつもりなのだらう。


 メディアへの圧力もここ数年強まってをり、多くのメディアが政権の意向に沿った報道や解説をするやうになってゐる。政権を批判したキャスターや解説者が番組を降ろされた事で委縮してゐるらしいが、それと同時にTV局の幹部と食事会をするといった搦め手からの作戦もあり、唯々諾々と参加する連中には全く情けない思ひだ。そういふ状況は「大本営発表」時代への後戻りを懸念させる。

 また、マスメディアとは別にネトウヨの跋扈も見逃せない。政権を批判する者には「反日」とか「売国奴」といった中傷が浴びせられる。彼らには反政府デモなどはとんでもない行為と映るやうだが、さういふ傾向は安倍政権になってからどんどん加速してゐる。ネトウヨは文字通り主にネット上での活動だが、「電凸」といふのもある。政権に批判的な報道などを流したTV局に電話をかけ、「あの放送はけしからん」とか「あのキャスターを辞めさせろ」などと迫るものだ。局側は、面倒な事を避けたい一心から次第に自己抑制に向かふらしい。

 言論の自由といふ大前提があるので、かういふ動きを規制する事は出来ない。逆方向からの言論や行動もあり得るのだが、まともな民主主義者はネトウヨのやうな下品さを持ってゐないので、「逆電凸」をやってもインパクトに欠けるだらう。とにかく、さういふ事態が進行してゐるのが現状なわけで、それは安倍晋三が目指す方向に近い。

 言論の自由と言へば、例の「共謀罪」にも触れねばならないが、それは単独の記事にするほどの分量になりさうなので、ここでは言論の自由を侵害する虞があることを指摘するにとどめるが、敢て針小棒大に言へば、治安維持法の再来といふ懸念すらある。

 世論調査によれば改憲はさほど支持されてゐないが、大衆は改憲を争点にしない選挙で自民党を勝たせ、ネトウヨの跋扈に有効な対抗手段もなく、民進党や共産党も多くの議席を獲得する力がない。つまり、この国は今、安倍晋三が目指す方向に動いてゐるわけだ。もちろんそれを批判する勢力もあるのだが、結果として議会で多数を占めるには至ってゐない。



 そんなわけで、まともで地道な方法でこの流れを止める事はかなり難しいと言はざるを得ない。安倍晋三の党総裁任期はあと1年半だが、党則改正でさらに一期務める可能性が出てきた。もしそれが実現して自公政権も続くなら、安倍政権はあと4年半続く事になる。すると戦前回帰はさらに進行する。それはごめんだと思ふなら、反対運動に精を出さねばならない。それでも大きな流れが止められないなら、最終的にはテロに活路を見出すしかない。安倍晋三は自民党の有力者の中でも最も戦前回帰志向が強く、彼が死ねば、誰が首相になるにせよその流れは弱くなる。それを好機と捉へてさらに流れを引き戻すのだ。

 もっとも、実際には暗殺が逆効果になる可能性もある。安易に実行すべきではないし、そもそも殺人はよくない事だ。しかし、テロリズムは一つの思想として過去にも現在にも存在する。その思想では、「殺人はよくない事」といふ常識的な命題は捨て去られるし、実行は刑事罰を覚悟した上での事だ。それを嫌ふなら自爆テロや自殺といふも選択肢もある。前者はアルカイダやISがやってゐるし、後者の実例としての山口二矢は個人的に強烈な記憶がある。

 まあ、このやうに考へる人が他にもゐるかもしれないが、多分誰も実行はしないだらう。

 (*)私は、戦力不保持条項と自衛隊の存在は矛盾してをり、それを解消するには自衛隊の廃止か改憲かのどちらかしかないと考へてゐる。それは学生時代からの意見なのだが、当時もほぼさうだったし半世紀近く経った現在はさらに、前者は現実的ではない。従ってこの案自体には、具体的な方法は別として賛成の立場である。ただし、所謂安保法制の成立を経て必ずしも防衛のためだけではない戦争も可能になってをり、この改正がさういふ方向に資する事になると見てゐる。それを踏まへると、単純に賛成とは言へない。
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 籠池氏の証人喚問を見た。森友学園の小学校設立の経過に異例な事がいくつかあり、それらが森友に有利な事だったので、政治家の関与が推測された。そこで、その政治家は誰か、関与が適法なものだったのか、といふのが関心を呼んでゐるわけである。

 証人喚問が行はれる事になったきっかけは、籠池氏が安倍首相から100万円の寄付をもらったと発言した事だった。それで、喚問でも当然その点が取り上げられたが、最初に登場した自民党の西田氏は、作り話ではないかといふ印象を持たせるべく質問を構成してゐたが、籠池氏は寄付を事実とした。他の委員も取り上げたが、それらを総合してみると・・・。

 私には籠池氏に分があるやうに思へた。前回書いた通り、物証はなく、昭恵さんの言動だけが根拠だったが、その描写がかなり具体的だったからだ。推理小説などで「犯人しか知り得ない事柄」といふ表現があるが、昭恵さんが人払ひをして寄付金を渡した事、その際やその後の発言などがそれに当たるやうに思はれる。ただし、それらが作り話だといふ可能性を全否定はできない。

 人払ひについて、秘書か護衛かわからないが当日同行してゐた二人の官僚は、さういふ事はなかったと言ってゐるさうだ。それも「作り話」とする理由になってゐたが、口裏を合はせたといふ可能性も全否定はできない。仮に幼稚園の職員を喚問し、彼らが100万円入りの封筒を見たと証言しても同じことが言へる。要するに水掛け論なのである。

 従って、結局「印象」の問題になるわけで、私は上記の印象を持った。多くの国民が私と同じかどうかはわからないが、安倍首相を支持する人は、おそらく逆の印象を持ったと言ふだらう。


 一般的な事を言へば、かういふ場合の多くは権力側が有利である。権力側は「正史」を作る権限を持ってをり、正史は権力側に都合よく書かれるのが常である。正史云々はさてをき、一私人の主張ではなく政府の公式見解が事実とされる。前者が真実だったとしても、それはひっそりと語られるにすぎない。


 ところで、仮に私の印象の通り、安倍首相が寄付をしてゐたとする。その場合、彼の選挙区ではないから寄付自体は違法ではない。また、政治家が陳情を受けてそれに沿ふやう努力する事も違法ではない。政治家安倍晋三が、この件で籠池氏から陳情を受けた事実はない(*)やうだからそれは措くとして、適法な寄付行為をなぜ隠すのか。

 一つには額の大きさがあらう。収入から考へて、10万円以下なら特に隠す必要はあるまい。実例があるかは知らないが、靖国神社に参拝して玉串料を出す事は何度もやってゐる。5万円ほどらしいが、玉串料は寄付ではないもののそれに近い性格がある。しかし、100万円は寄付としては大金で、寄付先との特別な関係を推測される。一国の首相たる人物が、寄付によって一私人との関係を取り沙汰されるのは何かと不都合だらう。

 もう一つは、彼の教育方針に関はる重大事だ。籠池氏は幼稚園児に教育勅語を暗唱させてゐるが、小学校でもおそらくその方針を採るだらう。その教育勅語は公式に否定されてゐるが、良い事が書かれてゐるといふ主張も珍しくない。確かに、夫婦相和しとか朋友相信じなどの所謂徳目には「良い事」といふ評価ができる。しかし、教育勅語の核心は「以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」にあり、敗戦後、新憲法に基づく国家再建に相応しくないから国会で失効確認の決議がされたのだ。

 さういふものを教育の根本理念とするのは、私立と言へども好ましくない。ましてや、総理大臣がさういふ学校の設立に向けて寄付するのは、仮令少額でも許されない。だから何としても隠し通す、と言ふよりしてゐない事にする必要があり、そのためには政府機関を総動員することもあり得る。もっとも、総動員すれば必ずどこかから漏れるから、実際には必要最小限だが、動かぬ証拠がない限り、それは成功する。


 なを、冒頭に書いた「異例」の件については、迫田氏などが参考人として招致される事になり、現状より実態が見えてくる可能性がある。それを見て記事を書くかどうかは未定だが、現状では不明なことが多いとしか言へない。


(*)籠池氏が、定期借地の期間を規定の10年より長くしてもらへないかと昭恵さんに頼み(携帯電話の留守メッセージ)、昭恵さん付きのタニサエコといふ人(官僚)が財務省に交渉し、彼女から難しいといふ返事をファックスでもらったといふ事で、彼が証言席でそれを読み上げた。依頼が事実だったとしても、安倍晋三への陳情ではない。
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 森友学園の籠池理事長が国会で証人喚問されることになった。その経過は異例だ。小学校開設のための土地取得に関はる疑念が発端だが、野党はそれらを明らかにするために参考人招致を要求してゐた。対して与党は、違法性がない事を理由として応じず、招致は難しいといふ見方が支配的だった。

 ところが、昨日(3/16)事態は一変した。籠池氏が、「すべて国会で話す」「安倍首相から100万円の寄付をもらった」と発言したからだ。どっちが先か忘れたが、「寄付」に与党が反応した。自民党の竹下亘国対委員長は「首相に対する侮辱だ」と言ったが、それが参考人招致を飛び越えて証人喚問にした理由の一つで、あるいは最大の理由かもしれない。それが経過の異例さである。

 ともあれ面白い事になってきた。籠池氏を自宅に訪問した野党の議員団によれば、寄付者名簿に安倍首相の名はなかったといふ。それが事実で寄付も事実なら、何らかの理由で名簿に載せなかった事になる。その理由は想像に難くない。

 安倍首相は寄付してゐないと明言した事が官房長官によって語られた。一方籠池氏は、夫人から手渡され、その際「夫からです」と言はれたとしてゐる。どちらが真実か、客観的には物証を持たない籠池氏が不利である。何によらず、不存在を証明するのは存在を証明するより難しい。安倍首相としては「寄付してゐない」と言ふよりほかに手段はなく、何かの動かぬ証拠があれば簡単に崩れる。逆に、それがなければ崩せない。

 籠池氏が、名簿にないのに寄付を事実と主張するなら、首相夫人の言動を根拠とするよりないだらう。すると、第三者の証言がない限り水掛け論になる。仮に夫人に証言させても同じで、結局印象だけが残る事になる。安倍首相は最近よく「印象操作」といふ言葉を使ふが、この場合「操作」ができるだらうか。方法としては質問のしかただらう。与野党ともに質問に立つはづだから、質問の巧拙が物を言ふことになる。ただし、寄付したといふ印象が勝ったとしても、それで内閣が倒れる事にはなるまい。

 寄付があったと前提すれば、一つの「落としどころ」としてかういふ事も考へられる。即ち、昭恵さんが個人として寄付した、安倍晋三は関与してゐないといふものだ。名簿に載せなかったのは首相夫人であることを考慮したためとする。それなら私人の行為として一応片付く。ただし、昭恵さんが果たして純然たる私人かといふ問題はあるのだが、そこは何とか切り抜けるものとする。もちろん、籠池氏が前言を翻せばそれで寄付の件は終わり、彼は信用を失ふ事になる。


 さて、問題は寄付だけではない。むしろ、土地取得と学校開設の経過がそれより大きい問題なのだ。これがどの程度明らかになるかは予断を許さず、とにかく経過を見ることにする。23日の国会は注目の的である。


 ところで、一つ気になった事がある。それは竹下氏の発言にある「侮辱」が果たして適切かといふ事だ。寄付してゐないのに寄付したと言った、といふのが前提だが、それが侮辱なのか。「新明解」には「相手を見下して(ばかにして)ひどい扱いをすること」、「デジタル大辞泉」には「相手を軽んじ、はずかしめること。見下して、名誉などを傷つけること」とある。共通するのは「見下す」で、実際、「侮辱」にはその語感がある。

 籠池氏が安倍首相を見下してゐるといふ印象はない。それどころか、思想的に共鳴してをり、尊敬の対象ですらある。だからこそ「安倍晋三記念小学校」といふ名称に(当初)してゐたのだ。仮に「裏切られた」といふ思ひがあったにせよ、尊敬からいきなり侮辱に転落するとは考へにくい。寄付があった事を述べる際にも、「恐縮ですが」と枕をつけてゐた。これが見下したうえでの皮肉だったとも思へない。

 そんなわけで、「侮辱」は適切ではないと私は考へる。ならばどう言へばよかったか、愚考するに「無礼」あたりが適切だった。だが、「無礼」では証人喚問に値しないので敢へて「侮辱」にしたのかもしれない。それは竹下氏の言語能力と政治能力の問題だ。国対委員長だから政治能力はあるのだらうが、言語能力については考へる材料がほとんどない。「名誉毀損」(法律用語だが一般にも使はれる)でもよかったかもしれないが、それでもなかったから、さほど高くない事が僅かに窺へる。

 事の経過にをいては些細な事だらうが、「言葉にうるさい人間」として、書いてをく次第である。 
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 2月上旬からこの学園の話題が出始め、月末近くからは連日のやうに報道されてゐる。それには、二つの理由があり、一つは新設予定の小学校に関はる用地取得の不自然さ、もう一つは教育方針の特殊性だ。

 事の発端は一つ目の事で、評価額が10億ちょっとの国有地をおよそ1/10で取得したといふ。これまでにわかったのは、当初賃借だったが約1年後に買ひ取りになった事、学校を建てる過程で地下に廃棄物が発見された事、その処理費用が9億円弱と見積もられたためにさういふ価格になった事、しかし実際の費用は1億ちょっとだった事、さらに廃棄物の一部を埋め戻した疑ひが強い事などである。

 いかにも怪しい話で、土地価格については政治家の関与が推測できる。実際、鴻池氏が関はりかけたのは本人も認めてゐる。ただし、賃料を安くしてほしいなどの陳情を受けた際に現金と思しき包みを差し出されて激怒し、断ったさうだ。贈賄での告訴も可能かもしれないが、さてをきこれは事実らしい。そこで別の政治家の関与が疑はれる事になり、麻生氏周辺が取りざたされてゐるが、現段階ではどうなるかわからない。

 二つ目の教育方針だが、学園理事長の籠池氏は日本会議の大阪代表といふポストについてをり、当然日本会議の思想を反映してゐる。また、新設予定の小学校は神道に基づいた教育を謳ってゐる。私学なので、それらを批判される筋合いはない。だが、すでにある幼稚園の運動会で、安倍首相を支持する内容の選手宣誓をさせたり、中国や韓国を非難する事を言はせたり・・・となると、明らかに政治的中立から逸脱してゐる。

 また、園児の用便を制限し、漏らしてしまった者に排泄物を包んで持ち帰らせるといふのは、園児の年齢や衛生の観点から異常としか言へず、即刻改めるべきだらう。

 教育勅語を暗唱させるのも異常だが、籠池氏の思想からは当然の事と思はれ、私学でもあるから反対はしても非難はできない。ただ、もしさういふ教育が広く浸透したら、この国は再び危なくなるだらう。願はくは「異常」であり続けてほしい。


 さて、これら二つの事柄とは一応別でありながら一部で重なってゐるのが安倍首相との関係だ。その小学校の名称は「瑞穂の國記念小學院」といふのだが、計画当初は「安倍晋三記念小学校」で、安倍昭恵さんが名誉校長を務めることになってゐた。名誉校長の件は現在うやむやな状態らしいが、設立のための寄付金集めでは、園児の保護者などにその名称が記載された振り込み用紙が送られてゐる。映像が公開されてゐるので確かなことだ。

 それらに関はる質問に対し、安倍首相はさらりとした関係と受け取れる答弁をしてゐた。しかし、次第にさうではないことを窺はせるに十分な情報が出てくる。初めのうちは、「籠池氏は私の考へ方に共鳴してゐる」とか「森友学園の教育はすばらしいと妻から聞いてゐる」などと答へたが、その後、同氏とは一面識もないとした。これらの発言は必ずしも矛盾しないが、様々なことから面識がありさうに思はれる。昭恵さんの講演料も「受け取ってゐない」だったが、学園には支払った記録があると指摘されてうろたへたらしい(この部分はリテラによる)。

 何より、安倍晋三氏は間違ひなく日本会議とつながりを持ってゐる。彼の思想自体が戦前回帰的だし、日本会議はそれを鮮明に打ち出す団体だ。そして名前は忘れたが日本会議に同調する政治家組織(単なるグループ?)には多くの保守系政治家が名を連ねてをり、安倍氏はその一員といふより重鎮である。従って、安倍・籠池両氏に接触があっても全然不思議ではない。ある方が自然といふ見方すらできるかもしれない。昭恵さんは幼稚園で講演したり、名誉校長を引き受ける(経緯と現状は定かでないが学園側が求めたのは確実)など密接な関係を持ってをり、その夫であり、思想的にも共鳴する首相が、面識の有無はさてをきさらりとした関係に過ぎないとは考へにくい。市井の人物の妻がたまたま籠池氏と知り合って云々、といふ話ではないのだ。


 この記事で言ひたかったのは、森友学園の教育方針への疑問、国有地の賃貸料や売却価格の不透明さから窺はれる政治家の関与、安倍首相と学園理事長との関係の怪しさであるが、三つ目について補足してをく。

 どんな人にも思想や交友関係があり、その二つは多くの場合結びつく。だから、思想を同じくする二人に交友関係があってもそれは自然な事で、とやかく言はれる筋合ひはない。ある人物が、思想的に共鳴する人と妻も含めて交際し、彼の事業に協力する事にも問題はない。ただし、この件ではその思想に現憲法と整合しない部分がある。そしてその人物は、憲法の尊重・擁護を義務づけられてゐる国務大臣のトップたる安倍晋三首相である。

 個人としての思想信条の自由、首相としての憲法尊重擁護義務、その矛盾は当然本人も自覚してゐる。仮に協力したとしても、「私にも基本的人権がある、思想を同じくする知人の事業に協力して何が悪いのだ」と開き直るわけにはいかないのだ。協力したかどうかは不明だが、妻の名誉校長就任を承認(黙認?)してをり、少なくとも非協力的でなかったとは言へる。そして、実態は今の控へた表現以上だった疑ひがあり、それは答弁の様子からも窺へる。それが「怪しさ」の所以である。

 
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丸山恒平

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