おととい、高校の同期会があった。卒業50周年記念で、幹事が目標とした100人にわづかに及ばない出席数だったが、初めての出席者も少なからずをり、その中にJといふ友人がゐた。

 互ひに気づいて、「おお、しばらくだったな」に始まる会話をしたのだが、ところで俺たち、何でかういふ間柄なんだ?といふ話になった。クラスも違ってゐたし、課外活動で一緒だった事もないのだ。不思議だなあと笑ひあったのだが・・・。それから数時間後、二次会でTといふ女子と近い席に座った。彼女とは全く接触がなかったが、美人コンテスト上位の子だったので、こっちは知ってゐた。話しかけて私を覚えてゐるか訊いてみると、「覚えてるよ、可愛いかった」と言はれてびっくりした。生徒会の役員をやったので覚えてゐられても不思議ではないが、同年齢の女子からそんな事を言はれるとは夢にも思ってゐなかったのだ。

 実は、彼女の二つ下の妹と一つ下の従妹が自分と同じ茶道部にゐた。従妹の方は私のクラスメートの妻になってゐるといふ事情から昨年会ふ機会があり、その際三人の関係を教へてもらってゐた。そんなことを話してゐるうちに、「茶道部と言へばJ君もさうぢゃない?」「えっ、違ふだろ?」といふやりとりになった。本人に確かめるのが一番、彼を捜して尋ねると事実だった。それでやうやく不思議が解明されたのだが、互ひに忘れてゐたのは、彼があまり熱心な部員でなかったせいだった。ついでながら、彼女とJは幼稚園時代からの幼なじみで、50年ぶりに会ったのだった。

 ともあれ、互ひに記憶が飛んでゐる事を認めて苦笑するしかなかったが、さういふ事があるのも同期会の良さである。
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 父方の祖母が福井県から北海道に来た事を知ったのがいつだったか、忘れてしまったが、その生家が寺と知ったのは10年ほど前である。住職となる僧は寺の娘を坊守に迎へるのが普通である。しかし、迂闊にもそれに思ひ当たらないまま、といふか関心が向かはないまま数十年過ごしてゐたのだった。そして、たしか2年前に寺の名を知った。何でもすぐわかる時代で、検索すると細かい住所もわかった。

 実は、43年前にそこの現住職と父の生家で会ってゐる。当時は、彼が僧侶で遠い親戚らしいといふだけの認識で、それ以上は知らうとも思はなかった。もう一人の遠い親戚らしい人物も一緒で、皆ほぼ同年齢で話が合ひ、それだけで十分だったのだ。

 さういふ過去があるので、いつか行ってみたいとは思ってゐた。父方の祖父は富山から渡道してをり、それは小学生の時から知ってゐるが、富山にはさほど強くは心が動かない。祖父は私が生まれるずっと前に他界してゐるから馴染みがないのだ。祖母は物心ついてから毎年会ってゐて、その都度小遣いをくれた。だからといふわけではなく、私は祖母が好きだった。そして、彼が現住職である事をフェイスブックで知ったのが約1年前、43年前の一件もあって行きたい気持ちが募った。


 ところで、私は小式部内侍の大ファンである。彼女の歌は百人一首にある「大江山・・・」しか知らないが、それしか伝はってゐないやうでもある。高校生のとき、学習雑誌でこの歌にまつはるエピソードを知って以来、ずっと理想の女性と思ってきた。だから、天橋立に行きたいといふ気持ちを持ち続けてゐた。


 さてこの度、その両方を訪れる機会に恵まれた。寺といふのは滅多なことでは引っ越さないので、祖母が生まれてから140年ほど経ってゐるが、当時と同じ場所にある。だから、改築されてはゐるものの生家である事は間違ひない。現住職は17代目と知ったので、もし移転してゐなければ450年くらい同じ場所にあるのだらう。それはさておき、双方の家系確認や43年前の事情など、色々な語り合ひはとても楽しいものだった。

 翌日は天橋立である。全部つながってゐると思ってゐたが、手前が少し切れてをり、橋を二つ渡った。写真は何度も見てゐるが、自分の足で行くとやはり違ふ。砂嘴の長さは2.6kmで、そのうち700mほどを歩いてみたが、見どころがいくつかあった。それらは割愛するが、浜が海水浴場になってゐるのには少し驚いた。この辺の人は日本三景で泳ぐのか・・・。地元民にとっては特別な事ではないのだらうと気づいたが、それにしてもうらやましい。戻ってから背後の山に登ると、まさしく写真で見る通りの景色、股のぞきもやってみた。また、文殊堂で扇をかたどったおみくじを引くと大吉、天気の良さもそれだったかとこじつけた次第である。


 あと、寺から30分ほどで行ける三方五湖と、舞鶴の引き上げ記念館にも行ってきた事を付記しておく。二か所で風光明媚を楽しみ、歴史の勉強もしてきた。ルーツ関係も当然含めて、ほぼ大満足の旅であった。43年前の「もう一人」(住職のいとこ)に会へれば「ほぼ」が取れるのだが、電話で話せたので良しとしやう。

 
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 以前、漢字検定の準1級に落ちたことを書いたが、二度目の受検で合格することができた。

 前回は2月上旬、今回は6月下旬に検定があった。前回とは違ふ問題集を買ってきて3月末ころからぼちぼち勉強してゐたが、何としても合格したかった。二回落ちるのは気分が悪いし、三回も受けるのは面倒だ。

 模擬試験でまずまずの成績が取れたので、大丈夫だろうと思ったが、本番は結構難しかった。問題集になかった語句がいくつもあったからだが、前回よりは少なかった。その中で、反対語・類義語を五つづつ、十のことば(ひらかな)から選んで書く問題に苦戦した。

 九つは何とかわかったのだが、「斬新」の反対語として残ったのが「ちんとう」といふ言葉だった。全く思ひ当たらない。幸ひ時間があったので、多分2分近く考へた。そして、「陳腐」と「常套」から「陳套」をひねり出したが、自信はなかった。帰宅後、漢和辞典にその語を見つけたときはとても嬉しかった。これが正解だったことでもう十分、といふ気分になり、怪しい回答の点検を辞めてしまったほどだ。

 今月14日に、WEB上で結果を確かめられるやうになってをり、合格と判明した。そして今日、正式な通知と合格証書が届いた。得点は178点(200点満点)、準1級の合格率は12.2%となってゐた。ほぼ8人に一人といふわけである。他の級もわかったが、1級が13.1%といふのは驚きだった。前回の通知では一ケタだったし、上に行くほど率が下がっているのにここだけは違ふのだ。1級の受検者はよほど勉強したものと思はれる。

 ところでその1級だが・・・。「上にチャレンジ」といふことで過去問が10題載ってゐたが、知らない言葉ばかりで、全然わからなかった。ならば、問題集にもほとんど知らない字や熟語が並んでゐると推測される。なにしろ、範囲が6000字である。準1級は3000字だから、知らない字をこれから3000近くも覚えなければ合格はおぼつかない。とてもじゃないが無理な相談である。


 なを、封筒がずいぶん大きいと思ったら、B4の合格証書が入ってをり、額に入れて飾りたくなるほど立派なものだった。
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 私は坊主の家系であるが、越中の椎名半左衛門といふ武将が頭を丸めて道安と号したのが初代と聞いてゐる。当時は戦国時代のまっただ中、北陸地方は一向一揆の勢力が強く、そのリーダーが蓮如だった。それが大きな理由と思はれるが、道安は蓮如に帰依し、以来現在まで続いてゐる。そして、その十四代目の三男が北海道に渡った。私は彼の孫であり、道安から数へれば十七代目になる。

 ところで、高校のクラスメートのNといふ男が、最近自分のルーツを訪ねて北陸方面に旅行した。それをフェイスブックに載せてゐるのだが、彼は上杉謙信の叔父の子孫で十六代目ださうだ。実は、半左衛門は謙信の父親を倒し、後に謙信に攻められて敗れたが命までは取られず、坊主になったとされてゐる。事実ではない可能性も大いにあるが、もし事実ならNと私は先祖が敵同士といふ関係になるわけだ。

 そんなことがわかり、ふと思ひついて椎名氏を検索してみた。すると、半左衛門といふ名前は出てこなかったが、そもそも椎名氏は関東の千葉氏から分かれた血統で、千葉氏は桓武平氏だといふ。ついでながら謙信の父親である長尾為景にもあたってみたが、病死または暗殺されたとされてをり、それが「事実ではない可能性・・・」の根拠だ。もし半左衛門が暗殺したのなら事実となるが、上条といふ対立勢力による、といふ説なので違ひさうだ。

 さてをき、椎名氏が千葉氏の分流で、千葉氏が桓武平氏なら、私は桓武天皇の子孫といふことになる。ちなみに桓武天皇は天智天皇の孫、正史の上では天照大神の正統な子孫である。

 とはいへ、さういふ人は全国にゴマンとゐるわけで、「天皇の子孫?それがどうした」と言はれればそれまでである。私も、自分は天照大神の子孫なのだから日本を治める資格がある、などと言ふつもりは毛頭ない。
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 7日の日曜日、検定を受けてきた。漢字検定といふものがあるのは20年以上前から知ってゐるが、受けた事はなく具体的な内容も全く知らなかった。

 私は漢字には強い方と自負してゐる。高校までに習った漢字はほとんど覚えてをり、その後もいろんな本などで数を増やしてきた。もちろん読めるけれど書けないといふ字はたくさんあり、近年はワープロを使ふことが多くなったので、それが増えてしまった。それでも人並み以上のはずであり、1~2年前から、客観的な尺度ではどうなのかが気になり始めてゐた。そこで漢検を受けてみやうか・・・となったわけである。

 ネットで検索すると、1級から10級まであり、準1級と準2級といふのもあって全部で12段階とわかった。そして、練習問題もあったので少しやってみると、2級はほとんどできたが、準1級は難しかった。そこで受けるなら準1級と考へ、「頻出度順問題集」といふのを買ってとりかかってみた。

 ところが、ネットの練習問題は読み書きだけだったのでさう思ってゐたら、単純な読み書きの他に類義語・対義語・四字熟語・表外読みなどもあり、わりとできたのは読みだけ、それ以外はやたらに難しい。正答率80%が合格の目安となってゐたが、65%も行くかだうかといふ感じだった。改めてレベルを調べると、2級は常用漢字(2100字強)が出題範囲で、高校卒業程度となってをり、表外読みはなささうである。そして準1級は約3000字、900字近くも増え、大学卒業程度とされてゐる。

 高卒までに常用漢字をすべて習ふかどうか知らないが、普通の高卒では2級は絶対受からないらしい。私は大卒だが、上述のやうに、準1級は絶対受からないし、2級も準備なしでは無理だらうと思はれる。また、1級は約6000字に跳ね上がる。ネット上の知人で準1級を持ってゐる人が、1級を三回落ちて諦めたと言ってゐたがさもありなん。

 さて、それが昨年6月のこと、次の検定は10月だったので、4ヶ月で合格まで行かうと勉強を始めた。ところが、受検申し込みの締め切りを勘違ひし、受検が不可能になってしまった。それが9月下旬で、次は2月と知ったのだが、モチべーションが下がってしまった。それで以後の3ヶ月は適当に流し、先月半ばから勉強を再開して問題集にあった模試で8割を超えるところまでこぎ着けた。

 そして本番、意外にも問題集に載ってゐなかったものがたくさん出題されてゐた。件の問題集は過去10年の分析で頻出度を出してゐるのだが、今回はあまり出題例のない問題が多かったらしい。時間は60分だったが、一通り終わったときにはあと10分、できなかったものに頭をひねってなんとか回答欄を埋めたときには終了まで1分を切ってゐた。うっかりミスがないかなどを確かめる余裕はまったくゼロで、終了の声がかかった時はダメだと思った。

 帰宅後、できなかった問題や怪しいのを確かめたが、国語辞典と漢和辞典を交互に調べないとわからず、2時間くらいかかったが、それでも不確かなものがあり、予想得点は158~164と幅ができた。しかも80%を挟んでゐる。なんとも悩ましい結果になったものだ。標準回答が1週間後に送られてくるので、それで得点は確定できるのだが、80%は目安であって難度によって合格ラインは移動するので、最終的には40日後の合否通知を待たねばならない。出題傾向からは高難度だったと考へられるので、その推測に期待しやうか・・・。さてをき、難しかった。
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