26日夜、NHKで諏訪の御柱祭りをやってゐた。七年ごとの4月2日に行はれる祭りで、今年はその年だった。

 七年に一度といふのは知らなかったが、坂で大木を滑り落とすシーンは時々TVで見たことがある。その意味など全くわからなかったが、今回の放送で詳しく知ることができた。そもそも、諏訪大社の建物は四本の柱で囲まれてをり、その柱を七年に一度立て替へるのが御柱祭りで、伊勢神宮や出雲大社の遷宮と同じ意味のやうだ。

 で、その柱となるモミの大木を森で伐採し、神社まで運ぶのだが、坂を滑り落ちるのはそこが通り道だからなのだった。なを、諏訪地方にはたくさんの神社があり、それらすべてが4本の柱で囲まれてゐる。そしてやはり同じ日に立て替へるのだが、小さな社のものは当然柱も小さく、子供たちが主役になる。


 さて、ここからが本題、記紀の国譲り神話に関係する。高天原から葦原の中つ国を譲れと言はれた大国主命は、息子達の意見を聞く。まず事代主神(ことしろぬしのかみ)が受け入れるが、もう一人の建御名方神(たけみなかたのかみ)は使者である建御雷神(たけみかづちのかみ)に力比べを挑む。しかし、敗れて逃げるのだが、諏訪湖まで追いかけられたところで、この地から出ないと約束して命を保証される。大国主命はある条件をつけて承諾するのだが、さてをき建御名方の降伏の地がなぜ諏訪湖なのか、これには何の説明もない。


 諏訪は縄文文化を最後まで維持した地域だった、といふことが近年の研究でわかってきたさうだ。その理由は黒曜石を豊富に産出したことだ。諏訪の黒曜石は石器の材料として列島各地で使はれた証拠が残ってをり、各地との交易で富を蓄積した諏訪は縄文文化の中心地として栄えたと考へられる。稲作を基礎に置く弥生文化が九州から列島全域に広がる中で、諏訪はそれを拒み続けたらしい。しかし、ついには弥生文化を受け入れることになる。

 諏訪にはモレヤといふ偉大な神がゐたが、建御名方がやってきて彼と争ひ、最終的に敗れるのだが、和解に近い形で収束したとされてゐる。それは、縄文文化を残しながら次第に弥生文化に同化していったことの反映と考へられる。そして、縄文文化の根幹だった森の恵みへの感謝を、巨木に神が宿るといふ信仰に昇華させたことが御柱の祭りとして今に伝へられてゐるわけだ。


 ここで、建御名方が諏訪で降伏したことの意味がやうやくわかってくる。つまり、高天原は弥生文化の中心であり、それが勢いを増して列島を席捲する。縄文文化の範囲は次第に狭められ、諏訪が最後の砦となるのだが、そのことの神話的表現と考へられるのだ。してみると国譲り神話は、天皇家が君臨することの根拠であると同時に、縄文から弥生へといふ大きな時代の移り変はりを表したものでもあったわけである。

 ただ、記紀が編纂された時代、さういふ認識があったとはとうてい考えへられない。だから建御名方の降伏が諏訪湖でだったのは偶然かもしれない。だが偶然にしてはできすぎてゐる感じが否めない。それをどう考へるか、新たな難題ではある。
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