若乃花と昭和33年

初代若乃花が亡くなった。「土俵の鬼」と異名を取った名横綱だった。小学生(多分3年)の時、そのタイトルの映画を学校で見せられた。内容はほとんど忘れたが、線路で貨物車両を押しているところだけははっきり覚えている。たしか室蘭駅構内で、普通は数人がかりで押すのを一人でやっていたのだ。当然相撲界に入る前のことだが、それだけ力持ちだった、という印象が強烈だった。

 横綱になったのが昭和33年とのこと、私が相撲に興味を持ち始めたときは既に横綱だった。しかし、なぜか千代の山が好きで、それ以外はどうでもよかったが、彼と鏡里が引退して名実ともに栃若時代だったころ、両者が千秋楽に全勝でぶつかった一番を隣家のテレビで見たが、アナウンサーが「日本一強い若ノ花と日本一うまい栃錦」と言ったことをよく覚えている。

 続いて朝汐がスピード出世で注目され、さらに柏鵬時代の夜明けを迎える。九州場所と名古屋場所ができ、年六場所になるのがこの頃のことだった。スポーツと言えば野球と相撲、そういえば長嶋茂雄のデビューも昭和33年、日本シリーズで西鉄ライオンズが奇跡の大逆転、「神様仏様稲尾様」もこの年だった。

 売春防止法も東京タワーも同じ年で、随分いろいろなことがあったという感じがする。私はと言えば、4年生になり、新しくできた学校に通うようになっていた。とはいえ校舎がまだ建築中で、初めは中学校を間借りし、その後町内会館のようなところを仮校舎にした2クラスの一方になり、9月か10月に新校舎で全員がそろった。鉄筋コンクリートは目新しく、気持ちが良かったが、体育館がなく、校章も校歌もないのが少し寂しかった。体育は屋外、運動会は自衛隊のグラウンドを借り、校章は多分5年生のときできたが、校歌はないまま卒業してしまった。卒業式は、教室を二つぶち抜いて行われた。体育館がないから、そういう作りにしておいたのだろう。

 しかし、町内会館時代の数ヶ月は実に楽しかった。学校まで2分足らず、3年生までは30分ちょっとかかっていたのと比べると、夢のような近さだ。昼休みはすぐそばの空き地で遊んだが、時には先生も一緒だった。放課後もすぐ同じところで皆と遊んでいた。勉強はまだ易しかったし、家では雨の日か夜に少ししただけだった。悩みなど全くなく、のびのびと過ごしていたのだった。年のせいか、その数ヶ月が懐かしい。
スポンサーサイト
line

comment

Secret

line
line

line
プロフィール

丸山恒平

Author:丸山恒平
FC2ブログへようこそ!
1949年1月生まれ、還暦を期にブログを始めました。記述することは多岐にわたります。
コメント歓迎・反論歓迎・トラックバック歓迎・リンクフリーです。

BLOGRAMに登録しています。できればカレンダーの下のタグをクリックしてください。

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
line
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
line
フリーエリア
line
フリーエリア
line
sub_line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QRコード
line
sub_line