「倭の正体」 カン ギルウン

著者は韓国の言語学者、その立場で記紀や朝鮮・中国の史書を読み、日本古代史の解釈を提示した本である。

 我々は、「倭」は通常古代日本を指すと理解してきたが、著者によればそうではなく、朝鮮半島南部や対馬・九州北部などを含む地域の総称である。その中心となるのは伽耶(加羅)、日本書紀などにいう任那だったが、そこの王国が滅亡した後は日本列島に移った。言語的にはドラヴィダ語族の一派で、次第に朝鮮語や日本語に枝分かれした。

 古代の日本は、もともと伽耶を宗主国とする倭の国々の一部であり、統治者は日本列島の人ではなく、伽耶から来た者だった。特に、欽明は伽耶の最後の王である仇衝(クヒョン)の成り代わりであり、ここで中心が移ったのだ。後の皇極・天智・天武などは、伽耶滅亡後も関係が深かった百済からの渡来である。

 また、邪馬台国は「邪馬壱(ヤマイ)国」が正しく、その意味するものは「亀」で、亀をトーテムとするタミール族との縁戚関係が表れているとしている。大野晋が日本語とタミール語の同系性を指摘しているが、それとあいまって一応の説得力がある。


 私にとっての最大の収穫は、天智が百済の王子とする解釈だった。実は、日本書紀の記述で長年の疑問があったのだ。中大兄皇子が蘇我入鹿を倒したとき、古人大兄王子が「韓人(からひと) 鞍作を殺しぬ」と言った、というところだ。「韓人」は素直に読めば中大兄皇子を指しているはずだが、なぜ「韓人」なのだろう。あるいは別の「韓人」がいたのだろうか。ならばそれは誰で、なぜきちんと登場しないのだろう、という疑問だ。そしてここを明快に説明した著作は知る限りなかった。

 本書では、天智即ち中大兄皇子は、皇極(百済名は宝公主)の異母弟である百済の義慈王の子「ぎょうき(堯にょうに羽という字に岐)」である。やはりぎょうきと天智を同一人物とする別の本を読んだことがあるが、そこでは皇極は日本人だったと記憶している。ちなみに古人も、百済の阿佐王子である舒明の子、従って百済系である。

 これなら、古人があのように言ったことが理解できる。百済系が百済系を「韓人」と呼ぶのはおかしい、という見方もあろうが、大和で生まれた二世が一世をこう称したのであれば、不自然ではないだろう。

 日本の古代史は朝鮮半島や中国との関連を視野に入れなければきちんと理解できない、とよく言われるが、ここまで半島との関係が深いとする解釈は初めて知った。比較言語学からのアプローチも示されており、それが正しいか否かの判断はできないが、もし妥当なら説得力はかなりのものだと思う。ただ、本題でないので仕方がないが、邪馬台国(邪馬壱国)が魏に朝貢したあたりのことに触れられていないのが残念だった。それを主題にした本を書いてくれれば是非読みたいものだ。

 
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