しづのおだまき

 しづやしづ しづのおだまき 繰り返し
  昔を今に なすよしもがな


 ご存じ静御前の歌だが、「しづのおだまき」というのがずっとわからなかった。「おだまき」は糸車と聞いていたが、「しづの」がわからない。何となく、静の「しづ」だと思っていたが、それでは意味がよく通じないのだ。


 つい最近、ある小説で「賤のおだまき」であることを知った。賤?ますますわからない。検索して見つけたあるサイトによれば、「賤」は賤民つまり身分の低い人が着る布地だそうだ。「おだまき」は芋環または小田巻と書き、くるくる回る事から、「しずのおだまき」が「繰り返す」の枕詞になったという。伊勢物語の中に、「しづやしづ」の部分が「いにしへの」となっている歌があり、静のはその本歌取りで、自分の名前を掛詞として使ってもいる。また、静は身分の低い白拍子であり、そのことも歌い込んだ。さらに、古今集にも似た歌があって、一流の白拍子の教養の高さから、それをも本歌としたと思われる。頼朝も古今集のものは知っているはずで、意味内容からますます頭に血が上ったと深読みしている。  なるほど・・・


 ところが、改めて古語辞典にあたってみると、布地の「しづ」は「倭文」と書き、身分の低い者を指す「賤」とは別項になっていた。そして、舶来織物の「あや」に対し、日本古来の織物を指すという説明である。ついでながら、「しづのおだまき」は「くる」の序詞となっていた。


 思うに、枕詞・序詞としては「賤」より「倭文」の方がふさわしい。高貴な人は高価な「あや」の着物を着たので、安い「しづ」は身分の低い人の着物と認識され、「倭文」と「賤」が混同されるようになったのではなかろうか。

 だとすれば、この歌が歌われた平安時代末期には、すでにそういう使い方が一般的だったことになる。しかし、この話の出典は室町時代に書かれた「義経記」なので、そのころの認識かもしれない。古語辞典の例文に伊勢物語の歌が挙げられているので、平安中期はまだ「倭文のおだまき」だったわけで、義経記のころまでに変化したと思われる。

 文学史年表によれば、伊勢物語は940年代・「義経記」は1420年代の成立だそうだ。静が鶴ヶ岡八幡宮で歌い舞ったのは1187年なのでちょうど真ん中あたり、どっちとも結論を出せない。困った^^;
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本文に間違いがあったので訂正する。静が頼朝の前で舞ったことの出典は「義経記」ではなく「吾妻鏡」だった。

「吾妻鏡」の成立は1300年頃らしく(WIKI)、事件との時間差は約100年、伊勢物語とは360年ほどなので、事件のときには「賤」であった方が確率は高そうだ。
 
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