合衆国憲法修正第二条

アメリカで、また銃の乱射事件が起きた。オバマ大統領は銃の規制に乗り出す構えを見せたが、おそらく実効的な政策は望めないと思われる。

 よく言われるように、憲法で武器の所有や携帯が保証されていること、それにライフル協会がかなり政治力を持っていること、などがその理由だ。刀狩り以来庶民は武器を持たないことが当然になっている日本とは、全く違う。

 憲法の面から考えると、これを改正することはまず考えられない。日本で言えば天皇制を廃止するくらい根本的な改正になるからだ(後述)。すると、銃規制は法律で行うしかない。そこにライフル協会の抵抗が影響する。結局なんらかの規制を法制化することで決着することが予想され、それは小手先の手法にすぎない。

 そもそも、「銃が悪いのではなく、人が悪いのだ」という主張を否定することはできない。日本では、銃による事件は暴力団がらみで時々起こるが、一般人による刃物での殺傷事件はしょっちゅう起こっている。包丁はどの家庭にもあり、それが殺傷に使われないのは人が抑制しているからであり、何かの事情でそれがはずれればいつでも凶器になるのだ。銃との差は単に殺傷力の違いでしかない。

 その差こそが問題だ、と言うことも可能だが、そこに立ち入っても根本的な解決法がみつかるわけではないだろう。


 ところで、「刀狩り以来」と書いたがそれ以前の日本も、武器は専門家だけが持つのが普通だったはずだ。戦国時代は農民を駆りだして兵士に仕立てたが、源平争乱のころは武士だけが戦っている。鎌倉時代や室町時代の前半がどうだったのか、よくは知らないが、おそらくそういう傾向が徐々にあらわれて戦国時代に至り、それを秀吉が元に戻しただけではないだろうか。

 秀吉の地位は律令制に則ったものだ。つまり、天皇を奉った上で関白として実権を行使したわけで、その政治形態の根本は飛鳥時代の豪族連合にまで遡る。そのまた原形は、と言うとだんだんわからなくなるが、皇室の祖先は武力を持たず、宗教的権威や人徳によって推戴された、と考えている人も少なくない。その論では、武力を持つ集団が天皇に仕えた、ということらしい。それは天皇が武力を持つこととほとんど同じに見えるのだが深入りしない。ちなみに小林よしのりは、天皇を戴くというのは人が作った「制度」ではなく、自然にできあがってきた「形」だと言っている。


 アメリカは全く違う。新天地を求めて新大陸に渡り、荒れ地を開拓し、害をなす動物たちを殺傷し、イギリス本国と戦って独立し、原住民とも戦った。人民の武器はなくてはならないものだったのだ。修正第二条の前半にある「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから」という前提はそういう歴史を踏まえてのものだろう。つまり、大統領制とともに建国の精神の重要な部分なのだから放棄する事はあり得ない。
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