竹田恒泰に問いただしたい事

 以前、山本みずきという、ある意味ナイーブな女の子の主張を批判した。http://shunkai273.blog23.fc2.com/blog-entry-243.html#comment100 要点は、西暦紀元前660年に神武天皇によって日本が建国された、というイデオロギーを歴史と混同しているという事である。

 さて、ふた月ほど前、竹田恒泰の「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」というPHP新書を読んだのだが、彼女とそっくりな主張をしていた。まあ、順序は逆だろうが。この本の78pにこういう記述がある。

 :記紀が記す神話は「真実」が記されているのであって、必ずしもすべてが「事実」だったとは限らないのであり、もし事実でない記述があったとしても、それによって神話自体の真実性が失われることにはならないはずだ。したがって、神武天皇の実在性にかかわらず、歴史の真実として考えなくてはいけないと思う。:

 これがわからない。問題は、「事実」と「真実」はどう違うのかという点にあるのだが、彼はそれを説明していない。別のところでは、「正史が語る建国の記述はやはり真実と見做すべきだろう」という文に続けて「歴史学と考古学の立場からは「日本書紀」の記述は事実ではないとする見解が述べられてきた」と書いているが、ここでも二つの言葉の違いに言及していない。

 憲法学者である彼の著作には、山本みずきとは比較にならない説得力があるが、この点に納得のいく説明をしてくれないと、結局彼女とさほど違わないことになってしまう。


 彼はこうも言う・・・。欧米のキリスト教社会が、「聖書」の記述を真実と考えるように、日本の神学(神道学)の立場でも、「日本書紀」のこの記述は真実であると見做す。・・・神道学がそうするのは一向に構わないが、それはまさしく神学であり、それを歴史学に適用するのは誤りだろう。私の知るところでは、欧米にも聖書の記述が事実かどうかを検討する流れがあり、歴史学の一分野として成立しているようだ。


 ともあれ、著者は歴史学や考古学が語ることもよく勉強しており、国家類型に含まれるものの成立として見解の相違なくさかのぼれるのは三世紀前半とする。それは前方後円墳を指標とするのだが、国家のようなものができた途端に巨大古墳を作れるはずはないからその原型はさらにさかのぼるとし、その原型が現れたのが紀元前660年であっても不思議ではない、と論を展開している。

 原型が巨大古墳の出現前にさかのぼるのはその通りだろうが、その年数は確定できない。50年かもしれないし100年かもしれない。900年ならほぼ書紀の記述に合うが、可能性でしかない。にもかかわらず、それを「真実」と考えるのが竹田流のイデオロギーということだろう。


 繰り返すが、「事実ではない真実」とはいったい何なのか、という疑問は私ならずとも持つと思われ、それにきちんと答えてほしいものだ。別の著書で書いているかもしれないが、こういう大事なことはその都度書くべき、少なくともそれを書いている本を紹介しておくべきと思う。
スポンサーサイト
line

comment

Secret

line
line

line
プロフィール

丸山恒平

Author:丸山恒平
FC2ブログへようこそ!
1949年1月生まれ、還暦を期にブログを始めました。記述することは多岐にわたります。
コメント歓迎・反論歓迎・トラックバック歓迎・リンクフリーです。

BLOGRAMに登録しています。できればカレンダーの下のタグをクリックしてください。

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
line
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
line
フリーエリア
line
フリーエリア
line
sub_line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QRコード
line
sub_line