纏向遺跡での新発見から

 纏向遺跡でまた新発見があったという。数年前「卑弥呼の宮殿か?」と話題になった建物群の36m東側に、それらと関連すると思われる建物跡が見つかったのだ。また、興味深いことに、付近には少し時代が下った建物跡もあり、初期ヤマト政権も継続してこの地を利用していたと思われるとの記事もあった。これはきわめて重要なことではないだろうか。

 つまり、仮に纏向が邪馬台国の所在地であり、初期ヤマト政権が同じ地域に拠っていたのならば、大和朝廷が卑弥呼と邪馬台国を知らないはずがない。すると、日本書紀が卑弥呼と邪馬台国について沈黙していることの意味が見えてくるわけだ。おそらく、滅ぼしたのだろう。大和朝廷としては、比較的穏やかに建国されたことにしたいから沈黙したというわけだ。もっとも、神武東征は戦闘を伴っているが、最終的にはニギハヤヒが、抵抗する部下のナガスネヒコを自ら討ってイワレヒコに帰順するので、一応「比較的穏やか」といえる。

 ひょっとするとニギハヤヒとは、トヨあるいは彼女の後継者を天孫降臨イデオロギーに沿うよう脚色したものかもしれない。

 仮にそのシナリオを採用するなら、ヤマトの建国は、どこか(日向?)からやってきたグループが大和にある首都を叩くことで倭国を滅ぼし、首都をそのまま利用して我こそはこの国の主なりと宣言した、ということになりそうだ。そのグループは、もともと連合王国としての倭国の構成員だったかもしれない。また、日向などではなく、もっと近くにあった国かもしれない。崇神が四道将軍を派遣している事に鑑みれば、近いほうが納得しやすい。崇神は実際の初代天皇だという説が有力だが、それとも符合させられる。


 あくまでも仮説にすぎないが、一つのあり得る形ではないだろうか。
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