不断煩悩得涅槃

 この言葉は「正信念仏げ(漢字変換不能)」の中の一行である。この「げ(詩の意味)」は、親鸞が「教行信証」の末尾に載せたもので、浄土真宗の教えのおおもとになることがあらまし説かれている。だから信者にはとてもなじみ深いものだ。

 私の父はその流派の寺に生まれ、僧籍もある関係で、サラリーマンではあったが毎朝勤行していたし、教典も置いてあった。私は子供の頃、遊び半分に暗唱しようとしたが途中で挫折している。しかし、親類の葬儀や法要でこれに接することも数多くあり、やはりなじみ深い。

 とはいえ、内容について勉強したことはなく、大学生のころ、なんとなく教典を見ていて漢文であることに改めて気づき、いくつかの部分を読み下してなるほどと思った程度である。

 一方、教養としての宗教はあれこれかじっており、その一部として親鸞の教えも一応の理解はしている。そしてその程度は、仏教の他の宗派やキリスト教などよりは深い。それは家柄の関係なのだが、そのせいかどうか、親鸞の教えは優れたものと考えている。

 それは法然の思想を徹底させたもので、神髄は他力本願、他力の「他」とは阿弥陀如来のことである。法蔵菩薩が衆生を救うという願を立て、五劫にわたる思惟を経て達成し、阿弥陀如来になったとされており、阿弥陀様が浄土に導いてくださることを信じて「南無阿弥陀仏」を唱えなさい、という教えである。自力本願は個人の努力によって成仏を目指すが、一般人はもちろん、僧籍にあってもそれは非常に難しい。この世には煩悩の種が無数にあり、それらをなくすことなど到底できないからだ。

 俗に、死者を指して「仏になった」と言うのは、死んでしまえば何も煩うことがないからだが、この世で悪行を重ねれば地獄に堕ちてしまうかもしれない。そこまでではなくても、天界すなわち浄土に行くことはできない。しかし、たとえ悪行を重ねても、阿弥陀如来の本願に気づいて一心に念仏を唱えれば浄土に行ける。むしろ悪人こそその機会に恵まれているというのが悪人正機説なのだが、それはともかくここでタイトルの一句を読み下してみる。


 「煩悩を断たずして涅槃を得る」・・・・・・二つ前の段落に書いたように、生きている限り煩悩は尽きることがないが、それを抱えたまま涅槃を得る、つまり浄土に行くことができるという意味なのだ。だから親鸞の教えの根幹とも言える部分である。



 以上は、先日ある法要での説教で知ったことである。ことのついでに、「正信念仏げ」のこの一句の少し前から意訳を引用してみる。

   教主世尊は 弥陀仏の 誓い説かんと 生れたもう
   にごりの世にし まどうもの おしえのまこと 信ずべし
   信心ひとたび おこりなば 煩悩(なやみ)を断たで 涅槃(すくい)あり

 お釈迦様は阿弥陀仏の誓いを説くためにお生まれになった、というわけで、ここはいかにも浄土真宗の解釈である。

 
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