「挽歌」 原田康子

 「ばんか」といふ読み物らしきものがあることを知ったのは、小学校低学年のときだった。母が、近所のおばさんたちとそれを話題にしてゐたからだ。内容は全くわからず、ただ、そういふタイトルのものが評判になっているが読んではいない、といった話だった。以来、そのことが時々思ひ出され、いつのころか、原田康子といふ釧路在住の女流作家の作品であることを知ったが、読まうと思った事はなかった。元来私はあまり小説を読まないタチで、高校卒業までに読んだ小説は、数へるほどしかない。

 実は、タイトルの「ばんか」も、「挽歌」なのか「晩夏」なのか、曖昧だった。読んでみやうかなといふ気になったのは、桜木志乃の直木賞作品・「ホテルローヤル」を読んだあと、彼女の中学時代の教師が、「挽歌」を書き写してゐた彼女を見て小説家志望であることを知った、と何かに書いてあったのを読んだ時だ。ただしすぐには読まず、やうやくつい最近図書館で文庫を借り、たった今読み終へたところである。

 最後の段落のわずか四行で、私は言ひようのない哀しさを覚え、少し涙がにぢんだ。それは、八木義徳といふ人の解説にあった「愛という情念の不条理」に心を打たれたからであらうと思ふ。その不条理は作品のあちこちにちりばめられてゐたのだが、その四行、あるいはそれを含む十行はその総仕上げだったのかもしれない。

 ところで解説によれば、この作品は昭和31年12月に出版されたのだが、それに先だって「北海文学」といふ釧路の同人誌に連載されてゐた。この同人誌はなんとガリ版刷りだったさうだ。だういふ経緯かは書かれてゐなかったが、出版したのは当時新興の東都書房といふところで、たちまち70万部の大ベストセラーになったさうだ。してみると、私が母達の会話を聞いたのは、おそらく昭和32年の早いうち、2年生の三学期ではなかったかと思はれる。ならば「ばんか」の意味はもちろん、小説といふ言葉すら知らなかったわけで、それが記憶に残り続けたことも不思議ではある。幼少時の記憶とはそんなものかもしれないが・・・。

 少し内容に触れておかう。ヒロインの兵藤怜子は数え年23歳、ふとしたきっかけで知り合った30代後半に見える桂木と、妙ないきさつから恋愛関係が始まる。そのいきさつは複雑だが、彼の美しい妻に重要な関わりがある。二人の関係は危ういものだが、桂木にとってはさほどではなささうに見え、小説は、もっぱら怜子の心情と行動の危うさを追って書かれてゐる。それが、いかにも学校を中退して定職もない、まだ少女から抜け出したばかりのヒロインにふさはしい。私は彼女の行動にハラハラしながら読み進めることになったが、当時の読者もさうだったらう。

 桂木夫人の自殺といふ事件があり、それをある程度予測し、自分がその原因を作ったと思ってゐる怜子の心情はさらに揺れ動くが、桂木は冷静だ。その冷静さは怜子が彼に惹きつけられる一つの理由でもあったのだが・・・。夫人の自殺から、接触のなかった4ヶ月ほどを経て、ある偶然をきっかけにして再会するのだが、桂木の求めを表面では受け入れながら、実際には黙って別れを決意するのがラストの十行である。経過を知ってゐる読者としては、自分の恋は終わったのだといふ心情はわかるのだが、それでも二人がその後幸せに暮らすことをほのかに期待したくなる。とはいへ、それではこの作品が安っぽいものになってしまふことも即座に理解できる。その辺も不条理の一つなのかもしれない。

 とにかく、解説が言ふところの「ベストセラーにしてロングセラー」である「挽歌」の魅力を十分に味わへた。余談だが、釧路の人口が敗戦後10年で6万から12万に倍増したことや、当時札幌まで夜行列車で12時間もかかり、狩勝峠を越える際は後ろにも機関車をつけたことなどを知ったのも収穫だった。古い小説を読む際の楽しみの一つかもしれない。
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