「玉虫のほかは官女の名は知れず」

 江戸時代、川柳がはやって「俳風柳多留」などの本が出版された。これはその中にある句だが、一見何のことかわからない。ただ、官女といふからには宮中に関わるもので、あまたゐる官女の中に玉虫といふ名の者がゐたことはわかる。しかし、ほかは名が知れてゐないとはどういふ事か。

 川柳には、歴史上の事柄を面白可笑しく詠む詠史句といふ分野があり、これもその一つである。題材は様々だったらうが、源平ものはかなり人気があったらしい。平家物語はもちろん、源平盛衰記や義経記など史料が豊富にあり、人物像やエピソードがよく知られてゐたからと思はれる。

 さて本題、この句は屋島での「扇の的」が題材になってゐる。那須与一が後世に名を残すことになった有名な場面だが・・・平氏は都を落ちて西海へ向かふのだが、天皇を奉じて三種の神器も保持してをり、一団は軍事的なものであると同時に内裏でもあった。従って官女たちも大勢ゐたわけである。

 その屋島で、平氏は海からの攻撃を予想して海岸に陣を敷き、内裏は山側に設営してゐた。ところが、義経がその山側を背後から襲ふ作戦を取ったため、混乱した平氏は海に逃げる。海に平氏、岸辺に源氏が対峙する状況で、日暮れになって戦は中断される。そのとき、一艘の船が岸辺に近づき、ある官女が船べりに扇を立てるのだ。

 この官女が、源平盛衰記によれば玉虫といふ名前だった。「よはい十八九ばかりなる女房の、まことにゆうにうつくしきが・・・」と「平家」にあり、「盛衰記」には「今年十九にぞなりける。雲の鬢(びんずら)雪の膚(はだえ)、絵に書くとも筆も及びがたし」となってをり、凄い美人だったらしい。その玉虫も、壇の浦で海の藻屑となってしまふのだが・・・。

 さてをき、大勢の官女の中で名前がわかるのはこの玉虫だけ、といふことを川柳子は言ってゐるのだった。


以上、「江戸川柳で読む平家物語」(安部達二、文春新書)によって知ったことだが、当時の川柳詠みはかなりの教養人が多かったと思はれる。「平家」などばかりでなく、中国の古典にも通じてゐたやうで、秦の始皇帝が刺客に襲はれた時、屏風(一双)を踊り越えて逃げたさうだが、それを踏まへた「八艘と一双逃げて恥ならず」という句もある。「八艘」はもちろん義経の八艘飛びである。

 ところで、八艘飛びや扇の的は、私にとっては小学生の頃から知ってゐ常識だが、近年の子供達は知ってゐるのだらうか。調べたわけではないが、あまり知らないやうな気がする。もしさうであればなんとなく寂しい。
スポンサーサイト
line

comment

Secret

と思ったら・・・

 ちょっと情報を集めてみたら、今は中学の国語教科書に載ってゐるそうだ。従って、中卒以上なら大半の人が知ってゐることになる。

 いつからさうなったのかわからず、年代を特定できないが、少なくとも二十歳まではこの教育を受けてゐるらしい。
line
line

line
プロフィール

丸山恒平

Author:丸山恒平
FC2ブログへようこそ!
1949年1月生まれ、還暦を期にブログを始めました。記述することは多岐にわたります。
コメント歓迎・反論歓迎・トラックバック歓迎・リンクフリーです。

BLOGRAMに登録しています。できればカレンダーの下のタグをクリックしてください。

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
line
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
line
フリーエリア
line
フリーエリア
line
sub_line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QRコード
line
sub_line