玄孫(やしゃご)より若い孫

 古代史が好きで、その方面のいろいろな本を読んでゐるが、それには小説も含まれる。「天翔ける女帝 孝謙天皇」(三田誠広)はそのうちの一冊で、奈良時代にはさほど関心がなかったのだが、同じ著者の「炎の女帝 持統天皇」を読んだ関係でこれも読んでみたのだ。


 孝謙天皇は一度退位して上皇になり、その後ちょうそして称徳天皇となる。上皇時代の君主は淳仁天皇といふのをこの小説で知ったのだが・・・。

 さてその淳仁天皇、天武天皇の孫といふことでちょっと頭が混乱した。孝謙・称徳はたしか奈良時代なかば頃と記憶してをり、壬申の乱から1世紀近く後に、その主役の孫が天皇になる?そこで系譜を確かめてみた。

 孝謙は、父系をたどれば聖武天皇、文武天皇、草壁皇子、天武天皇となり、天武の玄孫である。そして淳仁の父は舎人親王、その父は天武だ。孝謙の生年は718年、淳仁は733年とわかった。すると、天武から見て淳仁は、玄孫である孝謙より15歳も若い孫といふことになる。天武の生年は不明だが、630年代の前半と思はれる。であれば、淳仁とはほぼ100歳の差がある。孝謙とは85歳くらいか。

 ついでに、聖武は701年、文武は683年、草壁は662年の生まれだった。舎人親王は676年、淳仁との年齢差は57歳もあるから、驚かされる。当時の天皇家は総じて早婚、子をなすのも早かったが、高齢になっても子ができたわけだ。  


 ところで、孝謙は天武の玄孫であると同時に、天智天皇の来孫(五代あと)でもある。草壁の母は天智の娘である持統天皇だからだ。天武は比較的晩婚だったが、兄の天智は早婚で、626年生まれだから孝謙との差は92年しかない。

 称徳の次は光仁天皇だが、彼は天智の孫で709年生まれだ。皇位に就いたのは770年、61歳といふ高齢だった。天智の立場でいへば、やはり玄孫(聖武)より若い孫といふわけだ。ちなみに、この光仁天皇以降、皇位は天武系から天智系に移る。


 早婚でしかも一夫多妻だったから、次々に妃を娶り、当人さえ元気なら孫に近い、あるいは孫より若い子ができても不思議はない。それが繰り返されて、玄孫より若い孫が出現した・・・さういふことが改めてわかった次第である。

 
スポンサーサイト
line

comment

Secret

line
line

line
プロフィール

丸山恒平

Author:丸山恒平
FC2ブログへようこそ!
1949年1月生まれ、還暦を期にブログを始めました。記述することは多岐にわたります。
コメント歓迎・反論歓迎・トラックバック歓迎・リンクフリーです。

BLOGRAMに登録しています。できればカレンダーの下のタグをクリックしてください。

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
line
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
line
フリーエリア
line
フリーエリア
line
sub_line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QRコード
line
sub_line