70年前の8月・・・

 戦後70年だが・・・もし70年前の8月にポツダム宣言を受諾してゐなかったら、といふことはあまり深く考へた事はなかった。もちろん、もっとひどい状態になってゐただらう事は容易に想像できるが、その具体的な様相についてである。

 保阪正康によれば(*)、その年の4月に「本土決戦」の作戦準備がまとめられた。大本営はアメリカ軍の本土上陸を11月と想定してをり、それを迎へ撃つためのものだが、その要旨は、陸海空すべての戦闘で特攻作戦をとることだった。それを担ふのは、十代の少年たちだといふ。その前提として「国民義勇兵役法」がある。15歳から60歳までの男と17歳から40歳までの女を戦闘に参加させる法律で、6月に公布されてゐる。例へば、穴を掘って待機し、戦車が来たら爆弾を背負って体当たりするといった、国民の多くを死に追ひやるだけで、およそ作戦とは呼べないものが考へられ、実際に訓練が行はれた。私は、この訓練の経験者の話を何かで読んだ事がある。また、女学生の竹槍訓練はTVなどでよく取り上げられてゐる。

 こんな「作戦」で勝てるはずがないのはわかりさうなものだが、実際軍部もわかってゐた。その上で、国民の四分の一が特攻で死ねばアメリカはもうやめやうと言ひだすだらう、といふあきれ果てる考へだったらしい。これは、作家の戸川幸夫が新聞記者だったとき、大西瀧治郎(当時軍令部次長)に直接聞いたことださうだ。

 一方、アメリカ軍には「オリンピック作戦」とか、「コロネット作戦」といふのがあり、前者はまさしく11月、後者は翌年3月に九州や関東に最強師団を上陸させるといふ内容だった。


 つまり、あの時点で受諾しなければ、一般国民、特に将来ある少年たちの死屍累々といふ事態になった可能性があったのである。原爆もさらに落とされたかもしれない。昭和天皇の所謂「聖断」はそれを防いだわけだが、せめて東京大空襲の後くらひにあってほしかったといふ、詮無き感想を持たざるを得ない。

 *参考文献 「安倍首相の『歴史観』を問う」 (講談社)
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