川島芳子は生きていた?

 川島芳子については、、「東洋のマタハリ」と呼ばれた女スパイということしか知らなかったが、去年、TVドラマを見てその生涯を知った。ところが今日、死刑になったはずの彼女が実は生きていた、という内容のドキュメンタリー番組があった。

 芳子は清朝の王女だったが、当時の日本の陰の実力者だった川島某の養女となる。はたちになる前に女を捨て、男として生きることを決める。スパイとして上海事変を演出し、満州建国後は軍の将校になる。その辺の詳しい事情は忘れたが、日本の敗戦後、中国の裏切り者として死刑判決を受け銃殺される。それが1948年3月のことだが、今日の放送では、処刑されたのは替え玉で、本人は長春に逃れたという。

 内容は、張ぎょく(金偏に玉)という1967年生まれの女性の証言をベースにしている。彼女を育てた「方おばあちゃん」という女性が芳子らしく、その人の遺品をいろいろ提示し、それらに基づいて様々な取材がなされていた。まとめると以下のようになる。

 清朝の王族たちが、彼女を救うために金の延べ棒30本を用意し、年齢や体格の似た女性を替え玉になってもらうのに10本、処刑場を含む監獄の者たちを買収するのに20本を使った。そして公開するはずだった処刑が非公開になり、顔をわからなくした替え玉の死体が公開された。本物の芳子は王族の指示で密かに長春へと護送され、そこに住む彼らの部下だった男に預けられる。そして1979年に死去するまで、そこでひっそりと暮した。預かった男を養祖父とするのが張ぎょくさんで、彼女の母親は中国残留孤児だという。

 公開された死体の写真と、生前の芳子の写真からそれぞれの骨格を復元し、99%以上別人という鑑定があった。これは犯罪捜査などに使われている手法だそうだが、すごいことができるものだ。芳子は短髪だったが死体は長髪だったというのは、時間的な制約からのミスだったのか。そのためか、芳子生存説は処刑直後から囁かれており、近年では専門的な研究者の組織もあって、そこへの取材も行なわれていた。

 また、国清寺という天台宗の総本山の納骨堂に、芳子のものではないかという遺骨があり、そのDNA鑑定も行なわれたが、試料が不十分で判定不能だった。しかし、文革で破壊されたその寺を再建させたのはあの周恩来であり、ある近代史研究者が芳子生存のことを質問した際、彼は答えることはできないと言いながら指でマルを書いた、という話も盛り込まれていた。

 ほかにもいろいろな検証がされており、かなり信憑性が高いと思った。100%確実とは言えないだろうが、戦争時代の闇の部分は実に面白い。
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