国家権力と民衆

 例の土人発言問題についてなのだが、今日(11/20)の「そこまで言って委員会」でも取り上げられてゐた。この番組の性格から言って、機動隊員を擁護する発言が主流であることは当然なのだが、その中で、反対派が検問をしたり、暴言を吐いたりしてゐたことを取り上げ、どっちもどっちといふやうな事も言はれてゐた。

 こういふ言ひ方は、この番組に限らずネット上にもたくさん見受けられる。一見もっともだとも思はれ、反対派に好意的な人でもさう思ふかもしれない。しかし、ここには重大な見落としがある。

 国家権力と民衆といふ視点だ。機動隊は国家権力の出先機関であり、逮捕権も持ってゐる。一方、民衆にはそれがない。あるのは抵抗権であり、それをどう考へるか、あるいはそもそも考へてゐるのかが問はれねばならない。一般的には、民主主義なのだから表現の自由があり、基地反対を言論やデモなどで訴へるのは問題とされない。しかし、少し度を超すと、かういふ意見といふか反応が現れる。

 そもそも、抵抗権といふ言葉自体が近年ほどんど聞かれない。アメリカ独立戦争もフランス革命もその成果であり、さういふ過程を経て近代社会を獲得した欧米諸国に比べると、日本にその概念が根付いてゐないのはやむを得ない事かもしれない。とはいへ、さういふ歴史を学んだ者、中でも実際に反権力闘争の経験がある者にとっては常識である。

 70年安保や成田闘争の終焉から大規模な大衆運動は姿を消した。その前後に生まれた者たちが、いまや社会の中枢を担いつつある。さういふ社会で抵抗権が忘れられてゐるわけだ。久々に学生の集団として登場したシールズも、普通のデモ以上のことは代表の奥田氏が時々メディアで発言するくらいだった。

 さて話を戻すが、機動隊に対する暴言などは抵抗権の表出の一つだ。日常生活にをいては批判されて当然の事だが、状況が全く違ふ。国家権力との対峙なのである。そこにをいて、日常生活での抑制は働かない。手っ取り早く言へばケンカの最中みたいなものだ。落ち着いた?見方をする人は、機動隊は混乱を予測し、不測の事態を避けるために警備をしてゐるのであり、ケンカをしてゐるわけではない、と言ふかもしれないが、それは認識不足である。イベントでの雑踏警備とは違ふのだ。

 誤解を恐れずに言へば、かういふ場では、民衆の暴言は許されるが権力側のそれは許されない。機動隊員は暴言を吐きつけられても耐へねばならない。それが給料をもらって権力を委譲されてゐる者の義務なのだ。百歩譲って「どこ掴んどるんじゃ、ボケ」までは許しても、「土人が!」は絶対に許されない。

 この機動隊員は何らかの処分を受けたさうだが、おそらく彼には不満があるだろう。同じ状況なら他の隊員も似たやうな言動をしたはずで、自分は運が悪かっただけ、と思ってゐるかもしれない。もしさうであるなら(その確率は高い)、警察組織全体とまでは言はなくても、少なくとも公安警察といふ組織の問題である。

 さてをき、一般人にも抵抗権といふ概念や、国家権力と民衆といふ視点をもっと理解してほしい、といふのが一応の結論である。
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No title

仰ることはだいたい賛成です。
細かいことを言いますと、シールズは代表をおかないことをポリシーとしていたそうで、奥田氏は代表の肩書は持っていません。

この記事に書かれた件で私が個人的に興味を感じたのは、「土人」という言葉です。沖縄だとそういう言葉が侮蔑語としてあるのかなと言う気もしますが、派遣された機動隊はたしか沖縄に関係のない人たちだったと思います。

人を侮辱するのに「土人」という言い方はたしかに大昔は有ったと思うのですが、それは主として外国の人(例えば東南アジアやアフリカの人)に対して使われたと思っています。そうとも限らないのでしょうか。

ちょっと私の言語感覚が世間とずれがあるのか、「土人」というのは随分迫力のない言い方だなというのが私の感覚です(発言者にそれほど侮蔑の感情や意識はなかったとか、それほど非難されるような発言ではないと弁護しているわけではありません)。それでは私なら何と言っただろうと考えると、適切な侮蔑語が浮かばないのです。やっぱり土人あたりに落ち着くのかなと、少々この件に関しては世間とずれた感想を持っています。

No title

 「土人」は子供の頃、アフリカのジャングルなど未開の地域に住む人を指す言葉として覚えました。差別意識は自覚しませんでしたが、思ひ起こせば文明人としての優越感をくすぐられてゐたやうです。そして間もなく、侮蔑を込めて使ふのが普通といふ感覚になりました。

 長じて、それが「土着民」を意味することに気づきましたが、アイヌ民族に関する法律の名が「旧土人保護法」であることに強い違和感を覚えました。推測ですが、制定当時に差別的な意図がなかったのではなく、開拓使時代には差別が当然といふ感覚だったのでさほど気にしなかったのではないでせうか。改正に伴ってその語を消したのは、時代の必然でせう。

 ちなみに、手元の「新明解」には語意説明のあと、[]付きで以下の補足があります。

 :未開の(野蛮な)人間だとして、多く侮蔑を含意した:

 「した」とあるのは、現在では含意してゐないのかあるいはすでに死語に近いからなのか、少なくともあらたまった場では使はない言葉なので後者だらうと思ひます。

 また、「語感の辞典」にはかうあります(抜粋)。

 :特に未開の地で原始的な生活をしている人を連想させやすく、現代は人種差別の響きが嫌われ、ほとんど使用しない:

 派遣された機動隊は沖縄に関係のない人たち(大阪です)だったからこそ、その言葉が侮蔑を込めて使はれたのです。沖縄の人が同郷人に対してその言葉で侮蔑することはあり得ないでせう。なを、二つ前の記事に書きましたが、大阪は沖縄への差別意識が強いさうです。

 
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