「碁を打つ女」  シャン・サ(2)

実に哀しい結末だった。日本の将兵たちになぶりものにされるよりは死を望んだ「わたし」と、死ぬことによってしか愛が成就できないと悟った「私」。「私」は軍人としての誇りを捨て、母親の”表向きの”期待も裏切り、死後の愛を選ぶ。そして「わたし」は、名を告げることによって愛の告白をすると同時に死んでゆくのだ。
 そういう選択ができるのなら、何故あのとき少女の願いを聞き入れてやらなかったのか、という後悔の念は「私」によって語られないが、それは、表現不能という作者のメッセージなのだと思う。「あのとき」とは、少女が、ある理由からもう一緒に暮らせないと決意した家族と、気乗りしない男の誘いの双方から逃れるために、「私」との逃避行を願い出たときだ。「私」は、誇りや期待に縛られてそうしたい気持ちを抑え込んだのだった。

 人間誰しも、すべてを捨てて何かをしたいと思う時があるものだ。しかしこの世のしがらみ、世間体、見栄などがその実行を妨げる。そして再びそういう決断を迫られた時は、往々にして前回よりもっと厳しい状況に陥っており、最悪の場合、死と対面することにさえなる。この小説では、その究極の形として愛と死が同時に訪れるのだ。それは二者択一ではなく、死による愛の成就という特異なもので、その意味では江戸時代の心中物に通ずる。だが大きく異なるのは、二人が死の間際にようやく愛を自覚することであり、それが哀しい。

 ところで若者ならぬ私は、囲碁を趣味とする者としてこの小説を読んだのだが、囲碁の異称である「手談」の極致を表わすようなくだりがあった。少女が男に「あなたは何者なの?」と尋ねる、事実上初めての会話の場面だ。
 少女は、男の碁に奇妙さを感じ、男を知るために毎回棋譜を読み返したと言う。そして、「あなたの心に入り込み、本人も知らない隅々まで触れてみた。あなた自身になりきり、そしてわかった。あなたはどこかで自分を偽っていると」と続ける。その指摘は的を射ており、男は、ある時期から対局は口実に過ぎず、本当は少女に会いたくて広場に来ていたのだった。
 現実には、かなりの高段者でもそこまで読み取る事はできないかも知れないが、碁を打つに違いない作者が、フィクションとして究極を示したのだと思う。
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