臓器移植法

臓器移植法案が成立した。きわめて哲学的な要素があるため、党議拘束をはずしての採決だったから、議員全体の多数意見ということが言えるだろう。脳死を人の死とし、臓器提供者の年齢制限をはずすのが要点だ。

 私は脳死を人の死とすることには反対である。確かに、脳死から回復する例はないらしく、死と同然であることは医学的には正しいのだろう。(子供に脳波が戻ったという例があるらしいが、今は追究しない。)しかし、脳死になっても体は温かいそうだし、硬直もない。いずれ伝統的な意味での死が訪れるにしても、家族などの気持ちとしてはなかなか受け入れにくいだろう。
 それを「死」と断定するのは、ひとえに新鮮な臓器を取り出すためだ。移植を待つ者や手術をする医師にとっては、臓器の新鮮さは是非望みたいに違いない。

 だが、敢えて言えば、私は「そうまでして生き延びたいのか」と思う。そう思うのは、自分が老い先短い(といってもあと30年くらいありそうだが)からかもしれない。また、子供や孫にそういう患者がいれば違うかもしれない。しかし、すでに出来上がった死生観によるものだから、そういうことで変わるとは思っていない。

 人の命に限りがあるのは当然だが、病に苦しんで死ぬのはつらいだろうし、特に若いうちなら気の毒というほかない。できれば天寿を全うして老衰で最期を迎えたい。だが、すべての人がそうなるはずもなく、若いうちに、あるいは苦しんで死を迎える人も多い。医学の進歩によって、不治の病が次々に克服され、ついに臓器移植という、いわば究極の医療が登場した。現にある以上、それによって助かりたいと思うのは人情として当然だが、万人が納得できる死を待たず、脳死という技術的な判定に頼って少しでも早く臓器をもらいたいというのは、私にはやや身勝手に見える。その人も死ぬのだ。それをもし運命と表現するなら、移植を望む方も、少し前なら死んでいく運命だったのだ。

 生前の意思表示と家族の同意が必要だから、なんでもかんでも「脳死になった、それ取り出せ」ということにはならないし、家族を含めて納得した人が提供し、もらった人は感謝してその後を生きていくはずだから、それはそれでいい。だが、「早く脳死者が現れてくれ」とか、「多くの人にドナーになってほしい」と願う気持ちがないとは言えず、それが私の言う「身勝手」である。移植医療が普及すると、他人の死を望むことを当然の権利と考えるようにならないとも限らない。もしそうなったら、取り返しがつかない。

 もう一つ、死の定義を「人工的に定める事」への疑問がある。伝統的には心拍停止・呼吸停止・瞳孔拡大が死の三要素だったと思うが、先の二つは素人でもわかることで、医学に関係なく、大昔から誰もが知っている。三番目はある程度の医学が必要だが、総じて「自然な定義」と言える。大半の人は呼吸と心臓で判断しているのであり、やがて体温が下がり、体が硬くなっていき、次第に納得させられる。

 更に法案に触れると、生前の意思表示に、脳死段階で提供するかどうかを盛り込んでいないようだ。せめてそれがあれば、納得した者同士のやりとりと認められるのだが。死についてダブルスタンダードを作るわけにはいかないのだろうか。いや、法案には「原則として脳死を人の死とする」とあるらしいから、例外もあることになる。であれば、臓器移植に関わるときだけを例外とすることも可能と思うのだが・・・。
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