卑弥呼の宮殿?

昨日のニュースで、纏向遺跡で3世紀前半の大規模な建物跡が発掘されていることを知った。卑弥呼の宮殿という見方もあるということだった。

 これは面白い。邪馬台国の所在地論争に強い影響を及ぼすのは必至で、大和説に有利なことは言うまでもない。考古学者の寺沢薫氏の著作(「日本の歴史02 王権誕生」2000年講談社)によれば、纏向遺跡は自然発生的な集落ではなく、突如現れた都市という性格があり、「倭国大乱」が卑弥呼共立で収まったとき、女王の居所にふさわしく整えられた可能性が高いという。その根拠をすべて紹介はできないが、出土品の生産地が各地に散らばっていることなどが挙げられている。

 つまり、倭国のすべての国々が従うことのできるほどの「鬼道の達人である女子」が邪馬台国にいたわけで、そこは辺境に近い大和だったが精神的支柱に位置は無関係、むしろ女王の住む所に各地から人が集まってきたというストーリーだ。「邪馬台」が「やまと」と発音されていたかどうかは不明だが、似ていることは間違いない。なお、「倭国」はUSAのような形態で、13の州がワシントンを大統領に選んだように、たくさんあった「国」が王を戴いて連合国家を形成していた。纏向がそのようにしてできた「首都」なら、卑弥呼以前の王は別なところにいたわけだが、具体的にはわからない。

 とにかく、発掘は始まったばかりで、これから詳細な検討が行われるだろう。それによって卑弥呼の宮殿かどうかも・・・。もし「親魏倭王」の印が見つかったら決定的だ。それはなさそうだが、今後の研究発表が楽しみだ。
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