今日の「初耳学」で、小学校の算数の事が取り上げられてゐた。表記の足し算の解答が減点され、正しくは「9」であると赤が入れられた、といふ事がネット上で話題になったさうだ。そんなバカなことがあるのかと驚いたが、林先生はどちらも正解とした上で、教育上の大問題として京大の森重文教授の意見を聞きに行った。この人の事は知らなかったが、フィールズ賞を受けた世界的な数学者だった。

 当然森教授も同意見だったが、流石に「できるだけ簡潔に」といふ条件があれば「9」が正解といふ補足をしてゐた。実はもう一つ、直方体の体積を求める問題の件もあった。公式は「たてx横x高さ」なのだが、それぞれの長さを書いた図を示した問題で、横xたてx高さの順で式を作った解答が不正解とされたといふものだ。

 林先生と教授との対談では、要するに教へる側が数学の本質をわかってゐないといふ結論だった。

 自分の小学校時代を思ひ起こせば、初めの問題についてはどっちでもいいと習った。今の教育は60年前より後退してゐるのだらうか。あとの問題については、さういふ例の記憶がないので何とも言へない。

 直方体といふものは、置き方を変へれば縦・横・高さは変はってしまふ。しかし、体積は変わらない。だから公式の表現は便宜的なもので、長方形の面積にも同じことが言へる。それを思へば、中学で習ふ「S=ab」や「V=abc」の方が本質的と言へるだらう。ひょっとすると、そこに算数と数学の違ひがあるのかもしれない。算数では「たて」「横」「高さ」といふ具体的なもので理解し、数学では抽象的な論理で事を進めるといふ意味だ。であれば、「たてx横x高さ=体積」は便宜的といふより重要なもので、順番を変へるのは間違ひとするには正当な理由があることになる。

 しかし、本当にさうか。想像だが、教室で「置き方を変へたらどうなるの?」と質問する子供がゐるかもしれない。教師はどう答へるのか。その都度たて・横・高さの値を入れ直せと言ふのだらうか。すると、体積は変はらないこと、結果として順番を変へても構わないと教へる事になる。

 また、算数でも、6x9=9x6 は習う。といふか九九で自然に頭に入る。桁数が増えても同じと習ったかどうかは定かでないが、習ったやうな気がする。ともあれ、この問題は式と計算結果の体積を問ふもので、単に体積を問ふより良い問題だが、掛け算は順番を変へても結果は同じと教へてゐるのなら、順が違ふことで誤答とするのはおかしい。それとも、たて横の理解ができてゐないから誤答なのか?それなら一応わかるが、子供は縦横高さ自体が相対的なものと認識した上で順番を軽視したのかもしれず、それを答案から読み取ることはできない。結論として、正当な理由とは言へない。

 初めの問題に戻れば、授業では、和が「9.0」になったら「9」だけでいいと教へてゐると思はれる。しかし、「9.0」ではダメと教へる事はあり得ない。件の解答が、誤答とはされず減点だった事もそれを示してゐる。数学と算数の違ひといふ視点を持ち込めば有効数字の概念が思ひ浮かぶが、それを教へないで小数を扱ふ算数では「9」も「9.0」も同じ値だ。従って「9.0」を減点する正当な理由はない。


 さて、今でしょ先生が教育上の大問題としたのは、森教授との対談でも話されてゐたが以下のやうな意味だ。未経験の問題に直面した時などに、最終的に頼りになるのは論理であり、算数や数学はその論理を学ぶためのものである。しかるに、論理より公式の字面を重視したり論理的に不適切な指導をしてゐるのは、子供たちの将来を危うくするものではないか・・・。私はかなり前に同じ趣旨の記事を書いたことがあり、全く同感である。

 
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 沖縄の高江で、米軍ヘリパッド建設反対の抗議行動を行ってゐた人に、機動隊員が「「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケ」と威嚇し、続けてさらに「土人が!」と暴言を吐いたことがいろいろ取りざたされてゐるが、その一つに、佐藤優の文があった。それは「週刊金曜日」の11/11号に載ってゐるのだが、ここでその内容を紹介するつもりはない。

 彼は「こういう問題に対して中立的な立場はあり得ない」とし、自分は「日本系沖縄人」であると書いてゐる。日系ブラジル人とかイタリア系アメリカ人とかはよく聞くが、これは初見だった。佐藤の母親は上江洲(うえす)安枝といい、沖縄の久米島の人で、佐藤といふ日本人と結婚して勝を産んだ。彼女の兄、上江洲某は沖縄県人会兵庫支部の元会長ださうだ。

 その文によると、戦時中は少なくとも現地人同士では琉球語が優勢だったやうで、それを解せない軍人が「土人語で話してスパイ活動をしてゐる」と決めつけて殺す、といふ事件が少なからずあったさうだ。それ自体、当時の日本が沖縄をどのやうに見てゐたかを示すものだが、それは今日でも残ってをり、今回の事件の底流となってゐるとする。そして、問題の機動隊員が大阪府警所属であることも重視してゐる。大阪は特に沖縄への差別意識が強いところで、その理由は戦前にまで遡るらしいのだが、ここでは書かない。

 ともあれ、彼がさういふ出自を持ち、自らを「日本系沖縄人」と規定してゐるのは非常に興味深い。私は、沖縄に独立運動が起きないのはなぜか?といふ問題意識をもってゐるが、それを追究したことはない。しかし、「日本系沖縄人」なら見解を持ってゐるのではないかと思った。

 実は、件の記事は図書館で読んだもの、そして彼の著書を検索し、「沖縄・久米島から日本国家を読み解く」といふのを借りてきた。これを読めば、ある程度分かるかもしれない。

 
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2010年2月に、3DTVのことを書いた。http://shunkai273.blog23.fc2.com/blog-date-201002-5.html 3D元年といはれてゐた時期で、2~3年後にはかなり普及してゐるだらうとの予測もなされてゐた。

 それから6年半経過したが、「かなり普及」とは全然言へないばかりか、数年前から話題にすらならなくなってしまった。今では、4Kや8Kの方がよく耳目に触れる。これはどうしたことか、ちょっと検索すると、当時から2015年までのことを調べたサイトがあった。http://timesteps.net/archives/5123126.html

 それによると、ロンドン五輪のころまでは普及が進んだが、以後パッタリと人気がなくなり、3D対応TVの新製品はわずかながらあるらしいが、さほど売れてはをらず、電器店も力を入れてゐない。その理由がいくつか挙げられてゐるが、専用眼鏡をかけるのが煩はしい(普段眼鏡をかけてゐる人は特にさうだ)、その手間をかけてまで見たいといふ気にさせるコンテンツが少ない、55インチ以上の大型TVが主流で、普及型の大きさにはなく、買い換へが高くつく、などだった。ちなみに、映画の世界で3Dに火をつけたのは「アバター」で、それ以降も製作されたものの、TVと同じ理由で少数が作られ続けてゐるにすぎない。


 なるほどねえ・・・。TVは60年ほど前に普及が始まり、白黒からカラーへ、四隅が切れる画面から長方形の画面へ、さらにはハイヴィジョンや液晶など、次々に新しくて高性能なものへと進歩してきた。もうこれ以上の進歩はなくてもいい、と消費者は考へてゐるのかもしれない。ただ、技術の世界は常に進歩を目指すものなので、仮にさういふ感覚が主流になってゐても、「もうやめた」とはならないだろう。4Kや8Kも3Dと同じ運命にあるのかもしれないが、研究・開発は決して終わらず、そのうちに画期的なものが発明されて普及するかもしれない。
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 今日たまたま観たのだが、とても面白かった。日本人の精神の根幹にあるものは「公の意識」であるとし、その原型は鎌倉時代の板東武者の中にあり、そのまた元になってゐるのは平安時代の開拓農民であるとしてゐた。

 平安時代、朝廷や貴族が国を支配してゐたのだが、経済的な基盤は土地を所有してゐることにあった。重税にあえぐ農民には逃げる者が続出したのだが、彼らの一部が土佐の檮原(ゆすはら)といふ所に集まり、傾斜地を平らにして田んぼを作るといふ困難な土木作業に取り組んだ。それは成功し、現在も千枚田として稲作が行われてゐる。

 その子孫などが全国に散らばり、同様のことを行ったらしいのだが、彼らは次第に力をつけていく。「力」には武力も含まれ、やがて鎌倉幕府として結実する。幕府は各地の領主に本領安堵の証文を発行し、それが「御恩と奉公」「いざ鎌倉」につながる。このあたりは高校の日本史で習ふことだが、ここで「公」が出てくるわけだ。「公」自体は飛鳥時代の「公地公民制」からあるのだが、人民の側から発想されるものとしてはこれが初めらしい。そして板東武者の間には「名こそ惜しけれ」といふ意識が奨励された。

 さらに戦国時代の幕開け、北条早雲は伊豆一国からほぼ板東全域を制したが、農民に兵士として働いてもらうためには、支配者たる北条家が自らを律し、領民から信頼されねばならないと考へ、それを家訓にまとめた。そして、そういふあり方は間もなく全国に広まった。

 そのやうな過程を経て、庶民にも「公を大事にし、公に顔向けできないやうなことをしてはいけない」といふ意識が醸成される。それは幕末から明治維新にかけても十分発揮された、と司馬は考へる。この国をどうするか、といふことを真剣に考へたわけで、幕末は方向が二分されたが、維新では一本化され、急速な近代化が成し遂げられた。

 しかし、日露戦争後の賠償請求への不満から起こった日比谷焼き討ち事件が、道を踏み外す発端となった、と司馬は言ふ。それはやがて統帥権の拡大解釈による軍部の独走といふ事態をもたらし、破滅に至る。その時代の「公」は軍部だった、と司馬は言ってゐないが、さう考へてゐる振りをしなければ生きていけなかったのかもしれない。さてをき、この40年ほどは日本史の中で特異な期間だったと言ってゐる。そして戦後、またも日本人は本来の力を発揮し、奇跡の復興を遂げる。


 かなり説得力のある見解と思った。いはゆる「恥の文化」もこの文脈で語ることができるかもしれないし、特攻などといふばかげたことに突っ込んでいった事にも一定の説明が可能と思へる。ともあれ、司馬の結論は「名こそ惜しけれ」といふ観念を根底に据えて世界に立ち向かふこと、であった。
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 さういふ競技があることを、つい数日前まで全く知らなかった。もともとラグビーは好きだが、同じフットボール系統のサッカーに比べて人気がなく、TV放映も少ないのを残念に思ってゐた。なんであんなにイライラするゲームに人気があるのか、ラグビーの方がよっぽど面白いのに・・・と思ってゐた。ところが今年、ワールドカップで3勝を挙げ、にわかに注目を浴びるやうになった。そのワールドカップにしても、これまであまりマスコミで取り上げられてはこなかったのだが・・・。

 さてをき、その流れで7人制も報道されるやうになったのだが、なんとリオ五輪の正式種目になってゐて、その出場権を賭けてのアジア大会が行はれてをり、しかも、日本はいいところにゐるのだった。そして昨日、その決勝戦があり、香港との試合が放映された。


 7人制は、15人制と同じ広さのコートで行はれ、ルールもはほとんど同じだといふ。ただ、半分以下の人数なので走り回る量が大きく、そのため7分ハーフといふ短い時間になってゐる。昨日の決勝は10分ハーフ、これがどういふ意味なのかよくわからないが、それでも25分程度で試合は終わった。動きも激しいし、短時間なので集中して観戦できた。サッカーではかうはいかない。

 さて、試合は前半3分ころ、香港が先制のトライを挙げた。守りの手薄な右サイドにボールを出し、パスを受けた選手がラインぎりぎりを駆け抜けたのだ。さらに数分後、もう一つトライを決められ、0-10となったときは負けるのではないかと思った。

 しかし、1トライを返して5-10で前半終了、望みをつないだ。後半は日本が攻勢の展開、もみ合ひからキックでボールを出し、それを敵味方一人ずつが追ってライン際で衝突、トライできたやうにも見えたが判定はノートライ、しかしいい位置での日本ボールとなり、同点に追いつくトライにつながった。ゴールも決めて12-10、この試合初めてのリードを奪う。さらに勢いの赴くまま1トライ、終了2分前にもトライを決めて勝利が不動となり、24-10でノーサイド。

 これで来年のリオ出場が決まったのだが、一連の流れでラグビー人気が高まるものと思はれる。すると、15人制も含めてTVでの放映も増え、さらにファンが拡大する、といふ好循環が期待できる。サッカーも、Jリーグの発足からワールドカップへの道といふ経過で人気が高まったわけで、ラグビーもそれに似た経過をたどることが期待できる。
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