2010年2月に、3DTVのことを書いた。http://shunkai273.blog23.fc2.com/blog-date-201002-5.html 3D元年といはれてゐた時期で、2~3年後にはかなり普及してゐるだらうとの予測もなされてゐた。

 それから6年半経過したが、「かなり普及」とは全然言へないばかりか、数年前から話題にすらならなくなってしまった。今では、4Kや8Kの方がよく耳目に触れる。これはどうしたことか、ちょっと検索すると、当時から2015年までのことを調べたサイトがあった。http://timesteps.net/archives/5123126.html

 それによると、ロンドン五輪のころまでは普及が進んだが、以後パッタリと人気がなくなり、3D対応TVの新製品はわずかながらあるらしいが、さほど売れてはをらず、電器店も力を入れてゐない。その理由がいくつか挙げられてゐるが、専用眼鏡をかけるのが煩はしい(普段眼鏡をかけてゐる人は特にさうだ)、その手間をかけてまで見たいといふ気にさせるコンテンツが少ない、55インチ以上の大型TVが主流で、普及型の大きさにはなく、買い換へが高くつく、などだった。ちなみに、映画の世界で3Dに火をつけたのは「アバター」で、それ以降も製作されたものの、TVと同じ理由で少数が作られ続けてゐるにすぎない。


 なるほどねえ・・・。TVは60年ほど前に普及が始まり、白黒からカラーへ、四隅が切れる画面から長方形の画面へ、さらにはハイヴィジョンや液晶など、次々に新しくて高性能なものへと進歩してきた。もうこれ以上の進歩はなくてもいい、と消費者は考へてゐるのかもしれない。ただ、技術の世界は常に進歩を目指すものなので、仮にさういふ感覚が主流になってゐても、「もうやめた」とはならないだろう。4Kや8Kも3Dと同じ運命にあるのかもしれないが、研究・開発は決して終わらず、そのうちに画期的なものが発明されて普及するかもしれない。
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 今日たまたま観たのだが、とても面白かった。日本人の精神の根幹にあるものは「公の意識」であるとし、その原型は鎌倉時代の板東武者の中にあり、そのまた元になってゐるのは平安時代の開拓農民であるとしてゐた。

 平安時代、朝廷や貴族が国を支配してゐたのだが、経済的な基盤は土地を所有してゐることにあった。重税にあえぐ農民には逃げる者が続出したのだが、彼らの一部が土佐の檮原(ゆすはら)といふ所に集まり、傾斜地を平らにして田んぼを作るといふ困難な土木作業に取り組んだ。それは成功し、現在も千枚田として稲作が行われてゐる。

 その子孫などが全国に散らばり、同様のことを行ったらしいのだが、彼らは次第に力をつけていく。「力」には武力も含まれ、やがて鎌倉幕府として結実する。幕府は各地の領主に本領安堵の証文を発行し、それが「御恩と奉公」「いざ鎌倉」につながる。このあたりは高校の日本史で習ふことだが、ここで「公」が出てくるわけだ。「公」自体は飛鳥時代の「公地公民制」からあるのだが、人民の側から発想されるものとしてはこれが初めらしい。そして板東武者の間には「名こそ惜しけれ」といふ意識が奨励された。

 さらに戦国時代の幕開け、北条早雲は伊豆一国からほぼ板東全域を制したが、農民に兵士として働いてもらうためには、支配者たる北条家が自らを律し、領民から信頼されねばならないと考へ、それを家訓にまとめた。そして、そういふあり方は間もなく全国に広まった。

 そのやうな過程を経て、庶民にも「公を大事にし、公に顔向けできないやうなことをしてはいけない」といふ意識が醸成される。それは幕末から明治維新にかけても十分発揮された、と司馬は考へる。この国をどうするか、といふことを真剣に考へたわけで、幕末は方向が二分されたが、維新では一本化され、急速な近代化が成し遂げられた。

 しかし、日露戦争後の賠償請求への不満から起こった日比谷焼き討ち事件が、道を踏み外す発端となった、と司馬は言ふ。それはやがて統帥権の拡大解釈による軍部の独走といふ事態をもたらし、破滅に至る。その時代の「公」は軍部だった、と司馬は言ってゐないが、さう考へてゐる振りをしなければ生きていけなかったのかもしれない。さてをき、この40年ほどは日本史の中で特異な期間だったと言ってゐる。そして戦後、またも日本人は本来の力を発揮し、奇跡の復興を遂げる。


 かなり説得力のある見解と思った。いはゆる「恥の文化」もこの文脈で語ることができるかもしれないし、特攻などといふばかげたことに突っ込んでいった事にも一定の説明が可能と思へる。ともあれ、司馬の結論は「名こそ惜しけれ」といふ観念を根底に据えて世界に立ち向かふこと、であった。
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 さういふ競技があることを、つい数日前まで全く知らなかった。もともとラグビーは好きだが、同じフットボール系統のサッカーに比べて人気がなく、TV放映も少ないのを残念に思ってゐた。なんであんなにイライラするゲームに人気があるのか、ラグビーの方がよっぽど面白いのに・・・と思ってゐた。ところが今年、ワールドカップで3勝を挙げ、にわかに注目を浴びるやうになった。そのワールドカップにしても、これまであまりマスコミで取り上げられてはこなかったのだが・・・。

 さてをき、その流れで7人制も報道されるやうになったのだが、なんとリオ五輪の正式種目になってゐて、その出場権を賭けてのアジア大会が行はれてをり、しかも、日本はいいところにゐるのだった。そして昨日、その決勝戦があり、香港との試合が放映された。


 7人制は、15人制と同じ広さのコートで行はれ、ルールもはほとんど同じだといふ。ただ、半分以下の人数なので走り回る量が大きく、そのため7分ハーフといふ短い時間になってゐる。昨日の決勝は10分ハーフ、これがどういふ意味なのかよくわからないが、それでも25分程度で試合は終わった。動きも激しいし、短時間なので集中して観戦できた。サッカーではかうはいかない。

 さて、試合は前半3分ころ、香港が先制のトライを挙げた。守りの手薄な右サイドにボールを出し、パスを受けた選手がラインぎりぎりを駆け抜けたのだ。さらに数分後、もう一つトライを決められ、0-10となったときは負けるのではないかと思った。

 しかし、1トライを返して5-10で前半終了、望みをつないだ。後半は日本が攻勢の展開、もみ合ひからキックでボールを出し、それを敵味方一人ずつが追ってライン際で衝突、トライできたやうにも見えたが判定はノートライ、しかしいい位置での日本ボールとなり、同点に追いつくトライにつながった。ゴールも決めて12-10、この試合初めてのリードを奪う。さらに勢いの赴くまま1トライ、終了2分前にもトライを決めて勝利が不動となり、24-10でノーサイド。

 これで来年のリオ出場が決まったのだが、一連の流れでラグビー人気が高まるものと思はれる。すると、15人制も含めてTVでの放映も増え、さらにファンが拡大する、といふ好循環が期待できる。サッカーも、Jリーグの発足からワールドカップへの道といふ経過で人気が高まったわけで、ラグビーもそれに似た経過をたどることが期待できる。
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 江戸時代、川柳がはやって「俳風柳多留」などの本が出版された。これはその中にある句だが、一見何のことかわからない。ただ、官女といふからには宮中に関わるもので、あまたゐる官女の中に玉虫といふ名の者がゐたことはわかる。しかし、ほかは名が知れてゐないとはどういふ事か。

 川柳には、歴史上の事柄を面白可笑しく詠む詠史句といふ分野があり、これもその一つである。題材は様々だったらうが、源平ものはかなり人気があったらしい。平家物語はもちろん、源平盛衰記や義経記など史料が豊富にあり、人物像やエピソードがよく知られてゐたからと思はれる。

 さて本題、この句は屋島での「扇の的」が題材になってゐる。那須与一が後世に名を残すことになった有名な場面だが・・・平氏は都を落ちて西海へ向かふのだが、天皇を奉じて三種の神器も保持してをり、一団は軍事的なものであると同時に内裏でもあった。従って官女たちも大勢ゐたわけである。

 その屋島で、平氏は海からの攻撃を予想して海岸に陣を敷き、内裏は山側に設営してゐた。ところが、義経がその山側を背後から襲ふ作戦を取ったため、混乱した平氏は海に逃げる。海に平氏、岸辺に源氏が対峙する状況で、日暮れになって戦は中断される。そのとき、一艘の船が岸辺に近づき、ある官女が船べりに扇を立てるのだ。

 この官女が、源平盛衰記によれば玉虫といふ名前だった。「よはい十八九ばかりなる女房の、まことにゆうにうつくしきが・・・」と「平家」にあり、「盛衰記」には「今年十九にぞなりける。雲の鬢(びんずら)雪の膚(はだえ)、絵に書くとも筆も及びがたし」となってをり、凄い美人だったらしい。その玉虫も、壇の浦で海の藻屑となってしまふのだが・・・。

 さてをき、大勢の官女の中で名前がわかるのはこの玉虫だけ、といふことを川柳子は言ってゐるのだった。


以上、「江戸川柳で読む平家物語」(安部達二、文春新書)によって知ったことだが、当時の川柳詠みはかなりの教養人が多かったと思はれる。「平家」などばかりでなく、中国の古典にも通じてゐたやうで、秦の始皇帝が刺客に襲はれた時、屏風(一双)を踊り越えて逃げたさうだが、それを踏まへた「八艘と一双逃げて恥ならず」という句もある。「八艘」はもちろん義経の八艘飛びである。

 ところで、八艘飛びや扇の的は、私にとっては小学生の頃から知ってゐ常識だが、近年の子供達は知ってゐるのだらうか。調べたわけではないが、あまり知らないやうな気がする。もしさうであればなんとなく寂しい。
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 小学校高学年から中学生の頃、「スチャラカ社員」といふコメディがあった。日曜の昼過ぎに放映されてをり、面白くて毎週見てゐた。出演はミヤコ蝶々、中田ダイマル・ラケット、人見きよし、藤田まこと、白木みのるなどで、売れる前の藤純子も短期間だが出てゐた。

 提供は小野薬品で、当時「アテロ」といふ薬の販売に力を入れてをり、CMソングを白木みのるが歌ってゐた。また、テーマソングもあり、両方とも、歌詞・メロディを今でも覚えてゐる。一応書いてをかう。

  動脈硬化も 血圧も  コレステロールの せいなるぞ (中略)
  われにアテロの 味方あり  アテロで気分は 日本晴れ


  車も持たず 金もなく  満員電車に 揺られてる
  スチャラカ社員の 出勤は  いつも定刻 五分過ぎ


 さて・・・つい最近、「日本の軍歌」といふ本(辻田真佐憲、幻冬舎新書)を見つけ、購入して読んだのだが・・・。その中で「敵は幾万」が取り上げられてゐた。「敵は幾万ありとても」で始まるのだが、そのフレーズだけはなぜか知ってゐる。しかしそのあとの歌詞も、メロディも全く知らなかった。そもそも、このフレーズが軍歌の一部といふことさへ知らなかったのだ。

 ところが、載ってゐる楽譜を追ってみて驚いた。アテロのCMソングと同じだったのだ。もちろん順序は逆で、このメロディを借用してCMソングを作ったわけだ。七五調は日本人の言語感性そのものであり、巧拙を問はなければ誰にでも作詞できる。作曲はさうはいかないが、そこで人口に膾炙した軍歌を利用したのだらう。

 さらに、「勇敢なる水兵」といふのもあり、そのメロディがテーマソングに借用されてゐるのもわかった。歌詞の一部を書いてみると、

  敵は幾万 ありとても  すべて烏合の 勢なるぞ
  烏合の勢に あらずとも  味方に正しき 道理あり
  (中略)
  などてたゆたふ 事やある


  煙も見えず 雲もなく  風も起こらず浪立たず
  鏡のごとき 黄海は  曇りそめたり 時の間に
  (以下略)
 
 CMソングやテーマソングは、歌詞も部分的に語法をまねてゐることがわかるだらう。この番組が放映された1960年代前半は戦後20年に満たない頃で、これらの軍歌を覚えてゐる、と言ふよりそれが体に染みついてゐる世代が、高度成長を担い始めた時代である。さういふ人たちにとって、これらは覚えやすい歌だったに違いない。あるいは、なにがしかの感慨とともに否応なしに覚えてしまったのかもしれない。

 当時、両親も一緒にこれを見てゐたが、歌に関して話題になることはなかった。その内心がどんなものだったか、今となっては知りやうがない・・・。ただ、8歳半年長の兄によれば、30年ほど前、カラオケに連れて行って「戦友」をかけたら父が泣き出したといふ。してみると、スチャラカ社員をコメディとして楽しみながらも、毎回聞こえる歌には複雑な思ひがあったのではないか、と推測される。
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