今朝のTV番組「サタデープラス」で、「おもちゃの歴史で振り返るニッポン」といふコーナーがあり、野球盤が取り上げられてゐた。

 1974年に発売されたものが、10万でヒット商品とされるおもちゃ業界で300万台といふメガヒットになったといふ。「あれ?もっと前からあったぞ」と思ひながら見てゐると、初代は1958年の発売で、74年のものはある機能を追加したとの事だった。

 1958年の私は4年生だったが、当時「野球ゲーム」といふので遊んだ。自分でを持ってゐたのか、いとこの家にあったのか、後者のやうな気がするが、それは野球場をかたどったボードゲームで、攻撃側が二つのサイコロを振り、出た目によってヒットとかアウトとかホームランとかになる。ランナーが出るとバントや盗塁などを宣言する事ができ、やはりサイコロで成否が決まる。それを繰り返していくのだが、要するに双六を野球風に複雑化させたものだった。

 そのうちに野球盤といふものを知り、欲しいと思ったが親にねだる事はしなかった。ところで、隣家に父の後輩の若い一家が住んでをり、そこには私より三つか四つ下の男の子がゐた。しょっちゅう行き来してゐたのだが、ある時そこに野球盤が登場した。それがいつだったか定かではないが、とにかく私はあこがれの野球盤で遊ぶことができたのだった。ちなみに、その家ではTVも我が家より早く購入した。

 ところで先ほどの「ある機能」とは、何と!「消える魔球」だった。消える魔球は、「巨人の星」の星飛雄馬が編み出した「大リーグボール2号」の別名で、漫画で登場したのは多分70年頃だったと思ふ。なぜ消えるのかが男子の間で話題になったことをよく覚えてゐる。野球盤での消える魔球は、ホームベースの部分が陥没してボールがそこに落ちる仕掛けだった。絶対に打てないので、子供たちの間では「10球に1球」などのルールができていったさうだ・・・なるほどね。

 さておき、情報番組から五十数年前を思ひ出した次第である。
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 今朝、北朝鮮がミサイルを発射し、襟裳岬東方1180kmあたりの公海に三つに分かれて落下した、といふニュースがあった。そして、政府は東北・北海道にJアラートを発信したといふ。私の携帯にも着信したが、別のところにゐたので気づかず、後で確認した。

 報道(「スッキリ」)によれば、発射は5:58、Jアラート発信は6:02、北海道上空通過は6:07頃、落下は6:12だったさうだ。そして、ミサイル発射直後にはそれを察知し、即座に軌道計算がなされてゐたといふ。自治体によっては避難を呼びかけたとも言ってゐた。

 さて・・・私の疑問はJアラートに意味があったのか?といふ事だ。軌道計算がすぐにできてゐたのなら、日本の領土や領海に落ちる心配はほとんどないといふ結論になったと思はれる。即ち、飛ぶのは500km以上の上空で、はるか東方に落ちるのだから、脅威があるとすれば、途中で異変が起きて領土や領海に落ちる事だらう。そこまで考慮しての事であれば一応は納得できる。また、その異変が爆発で、バラバラになって飛散するならかなり危ない。しかし、いづれにしても避難すればよいといふものではないだらう。

 つまり、もしさういふ事態になったとしても一般国民にはなすすべがない。ミサイルのまま落ちてくるならPAC3での迎撃に頼るしかないし、バラバラになって落ちるならPAC3での対応は期待できない。迎撃失敗やバラバラ落下の際、被害を受けるかどうかは運次第だ。そもそも、6:02にJアラートを知っても、異変が起きて本土に落下するまで5分ほどしかないのだ。

 であれば、Jアラートは気休めにしかならない。また、列車の運行見合わせなどがあったが、さういふ混乱を引き起こすことにもなる。とはいへ、国民の安全を守る政府としてはさういふ対処は必要、との考へを否定するわけではない。ただ、その有効性には疑問符がつくといふ事が言ひたいのである。まあ、ミサイル発射などないのが望ましいのだが、現実にはあまり期待できない。
 
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 あるきっかけからようつべの動画を視聴し、脇にある案内から面白さうなものにに転じたりしてゐた。その中に浅沼稲次郎追悼集会のものがあった。2007年10月に当時の社民党が開催したのだが、歴代委員長などの挨拶に挟まって、浅沼の演説の様子も入ってゐた。それが何と例の事件の日のもので、山口二矢が突進して浅沼を刺す瞬間も写ってゐた。

 その瞬間の写真は当時新聞で見たし、その後も折に触れて提示されてきたから脳裏に焼き付いてゐる。また、沢木耕太郎の「テロルの決算」で、浅沼と山口の軌跡に加へてそれを撮影したカメラマンの当日の様子も詳しく知った。だが、動く映像はこれまで見たことがなかった。TVか映画か、誰が撮影したのか、旧社会党あるいは社民党が保管してゐたのか、それともどこかから借りたのかも分からないが、とにかく存在してゐたわけで、現在もあるに違ひない。

 ともあれ、少年時代に受けた強い衝撃に似たものを別な意味で感じた次第である。(*問題のシーンは7:02から)
https://www.youtube.com/watch?v=CBsvmc0BqOE
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 ようつべで森昌子の歌を聴いてゐたのだが、動画の脇にある案内に「風と雲と虹と」があった。森昌子が役者として出演してゐたからだった。

 「風と・・・」は平将門を扱ったNHKの大河ドラマで、将門が好きだった私は毎回観たのだが、森昌子の出演は記憶がなかった。何十年も前の事で仕方がないが、ともあれ彼女が出演した6回分がアップされてゐた。最初のものを見ると、将門の地盤である豊田の村娘といふ役どころだったが、ドラマの流れとしては将門の結婚が近づいてゐる頃だった。

 将門夫妻は相思相愛だったと記憶してゐるが、細かいいきさつはやはり忘れてゐる。ちょうどいい事に、それが描かれた連続2回分に昌子が出てゐて、改めて観ることができた。


 さて、周りから結婚をせかされる年齢になってゐた将門には思ひ人があった。従妹の良子である。幼い頃と、やや成長した頃にしか会ってゐないらしいが、ずっと心の底に留めてゐたやうだ。そして、思ひ切って婚姻の申し込みをする。仲介者を立てて良子の父平良兼に申し込むのだが、良兼には、頭の上がらない後妻詮子(せんこ)がゐた。詮子は、自分の弟である源扶(たすく)との縁組を主張する。彼女は源家の発展だけを考へる女で、これもその一環なのだが、良兼は言ひなりになって申し込みを断る。

 一方、良子も将門に思ひを寄せてゐた。つまり二人は意思の通じてゐない相思相愛だったのだ。しかし、さういふ流れで扶に嫁ぐ段取りが進んでしまふ。なほ、扶は女癖が悪く、将門もそれを知ってゐたので、破談は仕方ないにしても相手が扶といふことには穏やかならざる気持ちだった。

 それが934年の夏から秋にかけての事だった。ところで、将門のところに新たに雇われた雑用係の若い男がをり、彼には源家のある地域に恋人があって、しょっちゅう往来してゐた。その恋人は源家の情報にも詳しく、将門は彼を通じて翌年2月といふ祝言の日取りを知る。更に、前日に良子が移動する事まで探り出し、途中で奪ふ計画を立てる。実は、その決断には、森昌子扮する村娘・桔梗の「欲しければ取ればいい」といふ言葉が影響してゐたのだった。

 いよいよ決行の日、物見役の件の若者と幼い頃から仕へてゐる郎等一人を従へ、現場に赴く。詳細は後述するが、とにかく作戦は成功し、館に戻った将門は、何も知らなかった者たちに非難される。それには答へず、母を別室に誘って良子と祝言を挙げると伝へる。その固い気持ちを知った上で、女の気持ちが分かる母は良子の意志を確かめに行く。良子は掠奪といふ手段に反発するのだが、それに至る経緯を知らされて納得し、喜んで妻になることを表明する。この辺はじんとくる所だ。


 さて、やはり掠奪のシーンが痛快である。行列が近づいた事を告げた若者をお役御免として帰し、二人で行列の通る道筋の脇に潜む。頃合いを見計らって弓を引く。腕を射られた武士が落馬する。その混乱に乗じて騎馬で突込み、良子を奪ふ。あっといふ間の早業で、追撃はかなりの後れを取ってしまふ。途中で良子の笠を見つけ、居合わせた女に尋ねるが、女は知らぬと言ふ。改めて道を進むがなぜか行き止まりになってをり、迷ったと思って引き返す。彼らが去って女が合図すると、木や草で隠されてゐた道が現れる。作業をした者たちは、将門が都で勤務してゐた期間に知り合った傀儡使ひで、その実体は忍者のやうな特殊技能グループだったのだ。

 逃げる途中、将門は良子に名乗り、妻にすると伝へるが、良子は素直に受け入れない。嬉しい気持ちもあるはづだが、突然の出来事だし、なぜ掠奪なのか理解できないから当然だらう。そして、すでに書いた通りの結末になる。


 それにしても、この痛快なシーンも全く記憶に残ってゐない。調べてみると1976年の放映だった。私は1974年の12月に旭川に転勤し、翌年秋の結婚が決まってゐたので、その春か夏にTVを買ってゐた。夜遅い帰宅でまともにTVを見れるのは日曜日しかないし、さほど観たいとも思ってゐなかったから、札幌で一人暮らしの頃は持ってゐなかった。しかし、専業主婦にTVは必需品と思ったのだった。ところが偶然の賜物か、翌年の大河ドラマがこれで、日曜夜といふ事は知ってゐたので喜んだのだった。ともあれ、41年も前なら、記憶が定かでないどころか、ほとんどないのもむべなるかな・・・
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 今日は長崎に原爆が落とされた日だが、岡山大学で理学部教授を務めてゐた高校同期のO氏によれば、「そもそも原爆は軍事施設など強固な施設への破壊力は小さく、民間人や民家などが選択的に破壊されることは投下の時点ではっきり認識されていたので、兵器というよりは、殺人凶器と呼ぶのがふさわしい」といふ事だ。

 かういふ説明は今まで聞いた事がない。私の寡聞によるのかもしれないが、少なくとも盛んに言はれてきてはゐない。近年「大量破壊兵器」といふ言葉がよく聞かれ、それは核兵器が主なものと認識してゐるが、軍事施設をも破壊するといふイメージがある。72年前とは質が変化してゐるのだらうか。

 さておき、さういふ兵器を使ふのは非戦闘員を殺戮する事であり、東京大空襲などとともに許されざるべき戦争のやり方で、定かではないが戦時国際法なるものがそれを禁じてゐたやうに思ふ。いづれにしろ、これについて日本政府がアメリカに抗議してゐないのは不思議だ。韓国は慰安婦の件でしつこいほど日本に抗議してきたし、中国も南京大虐殺を抗議してゐる。いづれも正確な真実は確定されてゐないが、原爆は実態が明らかになってゐる。

 また、同氏は「実戦でその効力を確かめるために2度の投下が決められ、広島は平面地形、長崎は囲まれた地形であったことが選択理由であったようです」とも述べてゐる。つまり日本人は実験台にされたわけで、それは地形の事を除けば私も知ってゐた。戦争終結を早めるため、といふ理由もよく知られてをり、実際「本土決戦」には至らなかったのだが、それが免罪理由になるとも思へない。

 アメリカとはすでに65年間同盟関係にあり、歴代政権は常にと言へるほどその強化を掲げてきた。とはいへ対立する場面もあったわけで、同盟国だから抗議しないといふことにはならない。中韓も日本と国交があり、少なくとも建前としては友好親善を謳ってゐるが、それとこれとは別といふ姿勢なのだらう。日米間でも、友好とは別に「戦時中の非道を謝罪せよ」と言へるはづである。戦後のほとんどの期間が自民党政権であり、野党が「対米従属」と批判する事が多いが、その野党からも、原爆についてアメリカに抗議するといふ意見は聞こえてこない。対米従属を批判するのだから、仮にアメリカから睨まれても痛痒はないはづだ。ただし、少数の人がそれを主張してゐるのは知ってゐるが、影響力が小さいせいか、世論を形成するには至ってゐない。


 田原総一朗ではないが、政治生命を賭けてでも対アメリカ抗議を主張する有力政治家が現れないものだらうか。ひょっとすると、彼が首相に提案したのはその事?もしさうであってしかも実行すれば、安倍晋三をほとんど評価してゐない私も彼を見直すのだが・・・。
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